削除・発禁処分の事例
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/01 09:18 UTC 版)
「プレスコード」の記事における「削除・発禁処分の事例」の解説
戦前・戦中の欧米の植民地支配についての研究書など7769冊に及ぶ書物が官公庁、図書館、書店などから「没収宣伝用刊行物」として没収され、廃棄された。 原爆関連栗原貞子の詩「生ましめん哉」 峠三吉の詩「にんげんをかえせ」など 壺井栄の短編小説「石臼の歌」では、原爆によって家族を失った登場人物(遺族)たちの心理描写がほぼ削除され、疎開先である田舎の風景の描写を増補した表現に差し替えられている。 永井隆の『長崎の鐘』は1946年8月には書き上げられていたが、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)の検閲により出版許可が下りず、GHQ側から日本軍によるマニラ大虐殺の記録集である『マニラの悲劇』との合本とすることを条件に、1949年1月、日比谷出版社で出版された。 雑誌『創元』1946年12月創刊号に掲載予定だった吉田満による戦記文学『戦艦大和ノ最期』はGHQの検閲で全文削除された。独立回復後の1952年に創元社から出版。 川路柳虹の詩「かへる霊」
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