削除処分の経緯
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/26 10:16 UTC 版)
本作は発表から10年間は特に発禁の対象とされていなかったが、日中戦争中の1939年(昭和14年)3月30日、『鏡地獄』(春陽堂文庫、1938年7月刊)に収録された版が削除処分とされた。その理由について、内務省警保局図書課の検閲資料には次のようにある。 『芋虫』の一篇は、戦争のため四肢を失ひ言語不能になつた芋虫の様な人間と、妻の変態的な性慾生活を描いたもので、反戦的とか戦争嫌悪を、感じさせる程のものは無いが、廃兵の悲惨な肉体が醜悪に描かれてゐる。その点時節から不穏と思はる。又不健全な性慾がグロテスクに露骨に描かれすぎてゐると思はれる。 また、警保局の秘密文書『出版警察報』第117号には次のようにある。 「芋虫(悪夢)改題」と題する一篇は四肢を失ひ言語不能となりし廃兵と其妻との悲惨、変態的性慾生活を描写せるものにして時局に鑑み不穏の点あるに因り改めて[中略]安寧及風俗削除。 当初は「次版削除」の方針であったが、図書課長の生悦住求馬の判断で「本版削除」とされ、回収措置がとられた。水沢不二夫はこの背景について、日中戦争の長期化にともなう戦傷者の増加を指摘し、戦争遂行のエネルギーを凝集するために処分が断行されたとしている。
※この「削除処分の経緯」の解説は、「芋虫 (小説)」の解説の一部です。
「削除処分の経緯」を含む「芋虫 (小説)」の記事については、「芋虫 (小説)」の概要を参照ください。
- 削除処分の経緯のページへのリンク