サリン疑惑から地下鉄サリン事件へとは? わかりやすく解説

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サリン疑惑から地下鉄サリン事件へ (1995年1月〜3月)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/29 07:35 UTC 版)

オウム真理教の歴史」の記事における「サリン疑惑から地下鉄サリン事件へ (1995年1月3月)」の解説

1995年平成7年1月1日読売新聞上九一色村サティアン周辺サリン残留物検出されたことを報じオウムへのサリン疑惑表面化した教団は「上九一色村肥料会社教団向けて毒ガス攻撃をしているため残留物発見された」と虚偽発表をするとともに隠蔽工作追われた。 1995年1月8日教団ラジオで「占星学予測する95年」と題して麻原村井との対談放送1月から4月にかけて前哨戦始まり11月宗教戦争武力革命)が発生する予測した1995年1月麻原信者らに「この中警視庁突っ込んで警視総監の頭を殴った首根っこ捕まえて振り回せる奴はいるか」と問い信者一人名乗り出ると、「今すぐやるということではない。やる時には私が耳元で囁くから」と述べた地下鉄サリン事件の実行後にも「11月には戦争だ」と麻原上祐語っている。後に発見され井上ノートには「11月Xデー」とあり、自衛隊現役退役信者50人、信者特殊ゲリラ部隊200人、資金援助している暴力団過激派グループ協力得て、完全防護服着用ゲリラ工作隊で首都占拠し新潟からは医師装ったロシア軍特殊部隊強襲揚陸艇上陸ゲリラ部隊合流するなどの計画記録されていた。 また、この1月8日放送教団信者神戸地震があると予言1995年1月17日阪神・淡路大震災発生すると、教団予言的中した宣伝した。 ヴァジラヤーナ・サッチャでの宣戦布告 震災直後1995年1月25日出版され教団雑誌「ヴァジラヤーナ・サッチャ 6号」は「恐怖マニュアル全世界征服 ユダヤ野望」を特集し、「ヴァジラヤーナ・サッチャは人類代表して正式に宣戦布告する」「人類大量虐殺し、洗脳支配計画している闇の世界政府に対して」「目覚めよ日本人立ち上がれ世界人類、国連は我々の災いである。三百人委員会超えよ!」と称した。同紙では、ロスチャイルドロックフェラー家議長をつとめる三極委員会外交問題評議会米国を操る黒幕とされるフリーメイソンユダヤ教一派だから、メイソン池田大作ユダヤ人で、創価学会統一教会ユダヤ系とされた。また、「彼ら」は自分たちの象徴に目を使うとし、1ドル紙幣プロビデンスの目毎日新聞フジサンケイグループ目玉マーク1984年定められ五千円紙幣には「フリーメイソン」の新渡戸稲造富士山の湖に写った山はユダヤ聖山シナイ山とされた。タルムードでは、非ユダヤ人家畜汚れた者で、その財産奪い取ってよく、殺してもよい、ユダヤ人でも異教改宗した者やトーラー否定する者は殺さねばならない教えられていると、説くナチスユダヤ人虐殺はなかった。『シオン賢者の議定書』ユダヤ人偽書だというデマ流しているが、本物で、ダーウィン主義マルクス主義ニーチェ主義ユダヤ人仕掛けた太平洋戦争ベトナム戦争パナマ侵攻湾岸戦争軍需産業仕組まれた、日本への原爆投下ロックフェラーモルガン財閥利益のためで、デュポン家儲けたサイラス・ヴァンスグローバル2000報告戦争飢餓による30億人の大量虐殺計画出しローマクラブ実行しており、彼らはABC兵器核兵器生物兵器化学兵器プラズマ兵器マインドコントロール兵器用いて人類家畜奴隷として奉仕させることを目指している、と説いた麻原震災強制捜査立ち消えになったものと考え1995年2月28日東京都内目黒公証役場事務長だった男性拉致した後監禁し3月1日にチオペンタールナトリウム投与により殺害した公証人役場事務長逮捕監禁致死事件)。この事件教団信者松本剛指紋発見され警視庁全国教団施設一斉捜査決定した3月15日には霞ケ関駅自動式噴霧器発見された。これを受けて3月19日には警視庁機動隊員300名と捜査一課捜査員20名が陸上自衛隊朝霞駐屯地派遣され毒ガスによる抵抗想定して防護服装着訓練受けた。 しかし教団警察より早く動き1995年3月20日地下鉄サリン事件決行13人の死者6000人以上の負傷者発生する大惨事となった。この事件強制捜査遅らせるためともされる一方地下鉄サリン事件決定されリムジン謀議内容詳細に証言している井上嘉浩によると「サリンをまいても、強制捜査避けられないという結論で、議論終わっていた。しかし松本死刑囚は、『一か八かやってみろ』と命じた自分予言実現させるめだった」、「『宗教戦争が起こる』とする麻原予言成就させるために、事件起こした」と証言 しており、麻原自身の「ハルマゲドン」の予言成就させるために事件起こしたという説もある。 ナチスドイツによって開発されサリンその後ソ連米国生産されながら実際に使用さなかったが、イラン・イラク戦争末期1988年イラクイラン側に協力したとの理由クルド人攻撃したハラブジャ事件使用され、3200人〜5000人が死亡7000人〜1万人が負傷したオウムによる連続サリン事件ハラブジャ事件に次ぐものとなった

※この「サリン疑惑から地下鉄サリン事件へ (1995年1月〜3月)」の解説は、「オウム真理教の歴史」の解説の一部です。
「サリン疑惑から地下鉄サリン事件へ (1995年1月〜3月)」を含む「オウム真理教の歴史」の記事については、「オウム真理教の歴史」の概要を参照ください。

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