サリン疑惑から地下鉄サリン事件へ (1995年1月〜3月)
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「オウム真理教の歴史」の記事における「サリン疑惑から地下鉄サリン事件へ (1995年1月〜3月)」の解説
1995年(平成7年)1月1日、読売新聞が上九一色村のサティアン周辺でサリン残留物が検出されたことを報じ、オウムへのサリン疑惑が表面化した。教団は「上九一色村の肥料会社が教団に向けて毒ガス攻撃をしているため残留物が発見された」と虚偽の発表をするとともに、隠蔽工作に追われた。 1995年1月8日、教団ラジオで「占星学で予測する95年」と題して、麻原は村井との対談を放送、1月から4月にかけて前哨戦が始まり、11月に宗教戦争(武力革命)が発生すると予測した。1995年1月、麻原は信者らに「この中に警視庁に突っ込んで、警視総監の頭を殴ったり首根っこを捕まえて振り回せる奴はいるか」と問い、信者の一人が名乗り出ると、「今すぐやるということではない。やる時には私が耳元で囁くから」と述べた。地下鉄サリン事件の実行後にも「11月には戦争だ」と麻原は上祐に語っている。後に発見された井上ノートには「11月Xデー」とあり、自衛隊(現役・退役)信者50人、信者特殊ゲリラ部隊200人、資金援助している暴力団や過激派グループの協力を得て、完全防護服着用のゲリラ工作隊で首都を占拠し、新潟からは医師を装ったロシア軍特殊部隊が強襲揚陸艇で上陸、ゲリラ部隊と合流するなどの計画が記録されていた。 また、この1月8日の放送で教団信者が神戸で地震があると予言。1995年1月17日に阪神・淡路大震災が発生すると、教団は予言が的中したと宣伝した。 ヴァジラヤーナ・サッチャでの宣戦布告 震災直後の1995年1月25日に出版された教団の雑誌「ヴァジラヤーナ・サッチャ 6号」は「恐怖のマニュアル 完全世界征服 ユダヤの野望」を特集し、「ヴァジラヤーナ・サッチャは人類を代表して正式に宣戦布告する」「人類を大量虐殺し、洗脳支配を計画している闇の世界政府に対して」「目覚めよ、日本人、立ち上がれ、世界人類、国連は我々の災いである。三百人委員会を超えよ!」と称した。同紙では、ロスチャイルド、ロックフェラー家が議長をつとめる三極委員会と外交問題評議会が米国を操る黒幕とされる。フリーメイソンはユダヤ教の一派だから、メイソンの池田大作はユダヤ人で、創価学会も統一教会もユダヤ系とされた。また、「彼ら」は自分たちの象徴に目を使うとし、1ドル紙幣のプロビデンスの目、毎日新聞、フジサンケイグループの目玉マーク、1984年に定められた五千円紙幣には「フリーメイソン」の新渡戸稲造、富士山の湖に写った山はユダヤの聖山シナイ山とされた。タルムードでは、非ユダヤ人は家畜・汚れた者で、その財産を奪い取ってよく、殺してもよい、ユダヤ人でも異教に改宗した者やトーラーを否定する者は殺さねばならないと教えられていると、説く。ナチスのユダヤ人虐殺はなかった。『シオン賢者の議定書』をユダヤ人は偽書だというデマを流しているが、本物で、ダーウィン主義、マルクス主義、ニーチェ主義はユダヤ人が仕掛けた、太平洋戦争、ベトナム戦争、パナマ侵攻、湾岸戦争も軍需産業に仕組まれた、日本への原爆投下はロックフェラーとモルガン財閥の利益のためで、デュポン家も儲けた。サイラス・ヴァンスはグローバル2000報告で戦争や飢餓による30億人の大量虐殺計画を出し、ローマクラブが実行しており、彼らはABC兵器、核兵器、生物兵器、化学兵器、プラズマ兵器、マインドコントロール兵器を用いて、人類を家畜奴隷として奉仕させることを目指している、と説いた。 麻原は震災で強制捜査が立ち消えになったものと考え、1995年2月28日、東京都内で目黒公証役場事務長だった男性を拉致した後監禁し、3月1日にチオペンタールナトリウム投与により殺害した(公証人役場事務長逮捕監禁致死事件)。この事件で教団信者松本剛の指紋が発見され、警視庁は全国教団施設の一斉捜査を決定した。 3月15日には霞ケ関駅で自動式噴霧器が発見された。これを受けて3月19日には警視庁機動隊員300名と捜査一課捜査員20名が陸上自衛隊朝霞駐屯地に派遣され、毒ガスによる抵抗を想定して防護服の装着訓練を受けた。 しかし教団は警察より早く動き、1995年3月20日に地下鉄サリン事件を決行。13人の死者と6000人以上の負傷者が発生する大惨事となった。この事件は強制捜査を遅らせるためともされる一方、地下鉄サリン事件が決定されたリムジン謀議の内容を詳細に証言している井上嘉浩によると「サリンをまいても、強制捜査は避けられないという結論で、議論が終わっていた。しかし松本死刑囚は、『一か八かやってみろ』と命じた。自分の予言を実現させるためだった」、「『宗教戦争が起こる』とする麻原の予言を成就させるために、事件を起こした」と証言 しており、麻原は自身の「ハルマゲドン」の予言を成就させるために事件を起こしたという説もある。 ナチスドイツによって開発されたサリンはその後、ソ連や米国で生産されながら実際に使用さなかったが、イラン・イラク戦争末期の1988年、イラクがイラン側に協力したとの理由でクルド人を攻撃したハラブジャ事件で使用され、3200人〜5000人が死亡、7000人〜1万人が負傷した。オウムによる連続サリン事件はハラブジャ事件に次ぐものとなった。
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