サリヴァンと高層鉄骨建築
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/27 18:46 UTC 版)
「ルイス・サリヴァン」の記事における「サリヴァンと高層鉄骨建築」の解説
19世紀以前では建物の荷重は主に壁で支えるのが普通だった。建物が高くなるほど下にかかる力も大きくなり、それゆえ下階の壁厚も厚くなり、結局高さには制限が出てくる。 19世紀後半における安価で多目的使用に耐える鉄の登場は、このあり方を変えた。アメリカは経済成長の真っただ中にあり、より大きな建物の建設が求められていたこともあった。1880年代半ばの鉄の大量生産は高層建築を可能とした大きな動因であった。この時代を通して、鉄の価格はみるみる安くなっていく。 1867年- $166; 1870年 $107; 1875年 $69; 1880年 $68; 1885年 $29; 1890年 $32; 1895年 $32 中西部の人たちは過去の建築様式にそれほど捉われなかった。鉄の大梁のフレームワークを組み合わせることで、建築家たちはすぐさま高くほっそりしたそしていささか微妙な鉄による骨格を造りだしたのだった。それ以外の要素、壁、床、天井、建具は、荷重を支えている鉄骨に吊られる。いわゆる「柱・フレーム」構法と呼ばれるこの新しい建設方法は、しかしそれ以上のことをなした。この構法は単に建物を高くすることを可能としただけでなく、より多くの開口を可能として室内を明るくし、さらに間仕切壁を薄くして床面積を増やしたからである。 ルイス・サリヴァンの「形式は常に機能に従う。(form ever follows function. )」は通常「形式は機能に従う。(form follows function. )」に短縮されて用いられる。近代以前の建築は、形態を作る時に様式を根拠にしていた。当時の自動車が馬車を模倣したように「歴史」に従っていた。サリヴァンは方程式を解いていくと、結果的に美しいものができると説いた。この言葉はバウハウスなどモダニストの合言葉にもなった。フーコー・ヘーリング(Hugo Häring)のガルガウ農場牛舎(Gut Garkau farm)もサリヴァンの思想を体現しているといわれる。
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