タルムード【(ヘブライ)Talmud】
タルムード 【Talmud】
タルムード
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/18 20:22 UTC 版)
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タルムード(ヘブライ語: תלמוד Talmud、「研究」の意)は、ユダヤ教の「口伝律法」と学者達の議論を書き留めた議論集である。6部構成、63編から成り、ラビの教えを中心とした現代のユダヤ教の主要教派の多くが聖典として認めており、ユダヤ教徒の生活・信仰の基となっている。ただし、聖典として認められるのはあくまでヘブライ語で記述されたもののみであり、他の言語に翻訳されたものについては意味を正確に伝えていない可能性があるとして聖典とはみなされない。エルサレム・タルムードと対比してバビロニア・タルムード(ヘブライ語版)と呼ばれることがある。
成立の過程
ユダヤ教の伝承によれば、神はモーセに対し、書かれたトーラーとは異なる、口伝で語り継ぐべき律法をも与えたとされる。これが口伝律法(口伝のトーラー)である。
時代が上って2世紀末ごろ、当時のイスラエルにおいて、ダビデ王の子孫を称しユダヤ人共同体の長であったユダ・ハナシー(ハナシーは称号)が、複数のラビたちを召集し、生活の規範を示すものとして口伝律法を書物として体系的に記述する作業に着手した。その結果出来上がった文書群が「ミシュナ」である。本来、口伝で語り継ぐべき口伝律法があえて書物として編纂された理由は、一説には、第一次・第二次ユダヤ戦争を経験するに至り、ユダヤ教の存続に危機感を抱いたためであるともされる。
このミシュナに対して詳細な解説が付されるようになると、その過程において、エルサレム・タルムード(またはパレスチナ・タルムート)、バビロニア・タルムードと呼ばれる、内容の全く異なる2種類のタルムードが存在するようになる。現代においてタルムードとして認識されているものは後者のバビロニア・タルムードのことで、5世紀末に結集され、6世紀ごろには現在の形になったと考えられている[1]。エルサレム・タルムードは4世紀末に結集されたとされる[2]。
当初、タルムードと呼ばれていたのはミシュナに付け加えられた膨大な解説文のことであったが、この解説部分は後に「ゲマラ」と呼ばれるようになり、やがてタルムードという言葉はミシュナとゲマラを併せた全体のことを指す言葉として使用されるようになった。
ユダヤ教徒にとってのタルムード
「タルムードはユダヤ教徒の聖典である。」という解説が今まで日本では多くなされてきているが、実際のところタルムードの権威はラビ(教師)の権威のことでもある。そのため、後世におけるラビの権威を認めない立場からはタルムードの権威を認めないことになり、タルムードの権威を認めないユダヤ教の宗派も少なからず存在する。
その代表とも言えるのがカライ派で、モーセのトーラーのみを聖典としラビ文書の権威を認めていない。また、シャブタイ派(サバタイ派)の流れを汲むユダヤ教においては、むしろタルムードを否定するという立場をとる。
構成
ミシュナーを中央に配置し、その周囲にゲマーラーを記述する形式となっている。タルムードは非常に膨大で複雑であり、重さは約75キロ、ページ数に換算すると1万2000ページに及ぶ[3]。日本で出版されているタルムードに関する書籍はそのごく一部を抜粋したものであり、完全な翻訳本は存在しない。
ミシュナー
タルムードの主文であり、6部門(Sedarim)63巻(masechtot)523章がある。
ゲマーラー
ミシュナーに関する、数世紀におよぶラビの議論・注釈部分。タルムードの大部分を占める。
ハラーハーとアッガーダー
ハラーハーはユダヤ教の法律・規則について書かれた部分。アッガーダーはユダヤ教の伝承、物語、教訓など法律以外の内容が書かれた部分。
マッセフトート・カターノート
正式なミシュナーの63巻には入らない補助的なトラクト(章)のこと。
バビロニアとエルサレム
言語
ミシュナーはヘブライ語で記述され、ゲマーラーはアラム語で記述されている。
出版
バビロニア・タルムードの最初の完全な印刷本は、教皇レオ10世の支援を受け、ダニエル・ボンベルクによってヴェネツィアで1520年から1523年にかけて出版された[4]。
タルムード学
タルムードの完成後、その内容を研究、解説することはユダヤ教の学問に不可欠なものとなった。ミシュナーの章の一つ『アヴォート』にある格言では、15歳からタルムードを学ぶことが提唱されている。
バビロニア・タルムードにおける最もよく知られた注解は、中世フランスのタルムード学者であったラシ(Rabbi Shelomo ben Isaac、1040年~1105年)によって書かれた。12~14世紀に活動したラシ学派の学者は、ラシの注解にさらなる注釈を加えるトサフィストと呼ばれた[5]。ラシの解説はその後のタルムード研究に大きな影響を与えており、16世紀の最初の印刷以来、タルムードのすべてのバージョンにラシの注釈が含まれている。
タルムード学習のための施設として、イェシーバーとよばれる学院がイスラエルや米国の各地に存在する。
世界各地のユダヤ人が同時にタルムードの全2711のフォリオ(見開きページ)を1日1つずつ学習し、約7年半のサイクルですべての内容を学ぶ試み「ダフ・ヨーミー」(Daf Yomi)が1923年以降行われている。ダフ・ヨーミーのサイクルが完了すると、学習の完了を祝うイベント「シユム・ハシャス」(Siyum HaShas)が開催される[6]。
脚注
- ^ 鶴見太郎 2025, p. 68.
- ^ 鶴見太郎 2025, p. 66.
- ^ “〈新版〉ユダヤ5000年の教え | 書籍”. 小学館. 2025年6月23日閲覧。
- ^ “BOMBERG, DANIEL - JewishEncyclopedia.com”. www.jewishencyclopedia.com. 2023年8月5日閲覧。
- ^ 第2版, ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典,世界大百科事典. “ラシとは? 意味や使い方”. コトバンク. 2023年8月5日閲覧。
- ^ “Agudath Israel of America” (英語). www.thesiyum.org. 2023年8月5日閲覧。
参考文献
- 鶴見太郎『ユダヤ人の歴史:古代の興亡から離散、ホロコースト、シオニズムまで』中央公論新社〈中公新書〉、2025年1月。ISBN 978-4121028396。
関連項目
- ラビ・ユダヤ教 (ラビ的ユダヤ教)
- ファリサイ派 - 口伝律法を伝えた教派。
- モーゼス・マイモニデス
外部リンク
- 魔女の鎚 - タルムード全巻一覧。
- タルムード研究資料(南満洲鉄道調査部, 1942)
- ユダヤの格言 CampNetwork[リンク切れ]-タルムードのことわざの紹介。
タルムード
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/17 05:52 UTC 版)
「Jesus in the Talmud#As evidence of the historical Jesus」および「Yeshu」も参照 ユダヤ教の注釈書であるタルムードのうち5世紀末にバビロニアで成立したバビロニア・タルムードには「イエス・ベン・パンデラ」(パンデラの息子イエス)あるいは「ベン・スタダ」(スタダの息子)などという呼び方でイエスに言及したとみられる箇所がわずかだがある。この中のいくつかは恐らくタンナイーム時代すなわち西暦70年頃から200年頃の間にさかのぼる。しかしこれらの各記述は確かにイエスに関するものなのか、またそれは歴史的価値があるものなのかについて学者たちが議論を続けている。 ラビ文献においてイエスに関する最も重要な言及と一般的に考えられている「サンヘドリン」43aの場合は、言及自体だけではなくその文脈からもイエスがその箇所の主題であることが確認でき、ナザレのイエスの死を指していることに疑いの余地はないとVan Voorstは述べている。死刑に関する「サンヘドリン」43aの注釈でナザレのイエスについて言及していると認められるならば、それはイエスの存在と処刑の証拠となるとChristopher M. Tuckettは述べている。この箇所は過越祭におけるイエスの裁判と死に関するタンナイーム的な言及であり、タルムードにおけるイエスに関する他の言及よりも古い可能性が高いとAndreas Kostenbergerは述べている。この箇所はイエスに対するラビたちの敵意を反映しており、次のような文章が含まれている。 次のように教えられた。(安息日の前日にして)過越祭の前日に、ナザレ人イエスは架けられた。そして、使者が彼に四〇日先だって行き、(告知した)。「ナザレ人イエスは、石打ちにされるために出ていく。なぜなら彼は魔法を使い、イスラエルを唆し、(偶像礼拝に)誘惑したからである。彼の無罪のために何かを知っているものは誰でも、来てそれを述べよ」。しかし、彼の無罪のために何も見つからなかったので、彼らは(安息日の前日にして)過越祭の前日に彼を架けた。 —「サンヘドリン」43a 一方ペーター・シェーファー(ドイツ語版)は、タルムードに書かれているイエスの処刑に関する物語がナザレのイエスを指していることは疑いの余地がないが、この問題の箇所はタンナイーム的ではなく、後のアモライーム時代のもので、キリスト教の『福音書』を参考にして、それに対する応答として書かれたものではないかと述べている。またバート・アーマン(英語版)やMark Allan Powellは、タルムードによる言及はイエスの時代よりかなり後のものであることを考えると、イエスの生涯における教えと行動についてタルムードは歴史的に信頼できる情報を与えることは出来ないと述べている。 また2世紀初頭のラビ文献である『トセフタ(英語版)』(口伝律法の補遺集)の「フッリーン」II 22には、Eleazar ben Damaというラビが蛇にかまれたとき、イエスの名による癒しは律法に反すると他のラビに異を唱えられ、それゆえに死んでしまったという記述がある。この箇所はイエスの行なう奇跡は邪悪な力に基づくという初期のユダヤ人敵対者の態度を反映している。 EddyとBoydはその共著で、タルムードなどの資料のいくつかの価値を疑問視しているが、史的イエス研究におけるタルムードなどの意義は、それがイエスの存在を決して否定せず、魔術師として告発し、間接的にイエスの存在を確認している点にあると述べている。R. T. FranceやEdgar V. McKnightは、タルムードの記述は、キリスト教徒の記述と異なる点やイエスについて否定的である点から実在の人物についての記述であることを示していると述べている。Craig Blombergは、ユダヤ教では伝統的に決してイエスの実在を否定することはなく、ケルソス(英語版)が書いた反キリスト教論のようなユダヤ教以外の資料にも反映しているように、ユダヤ教はイエスを魔術師や奇術師であると非難したと述べている。Andreas Kostenbergerは、タルムードの言及から導き出される全体的な結論は、ユダヤ教は伝統的にイエスが歴史的に実在した人物であることを決して否定していず、タルムードはイエスの信用を落とすことに焦点を当てていたということであると述べている。
※この「タルムード」の解説は、「史的イエスの資料」の解説の一部です。
「タルムード」を含む「史的イエスの資料」の記事については、「史的イエスの資料」の概要を参照ください。
「タルムード」の例文・使い方・用例・文例
- ミシュナー(タルムードの最初の部分)の、またはミシュナーに関する
- ユダヤ教の教えであるトーラーやタルムードで主に具体化される、精神や道徳上の規律のある、ユダヤ人の一神教
- ユダヤ教のタルムードの後半部分で、前半のミシュナの注釈
- タルムードの最初の部分
- 法律を扱わないが、いまだにユダヤ人の伝統の一部であるタルムードの文学
- ヘブライ語の聖書の法と法の解釈を扱うタルムードの文学
- 旧約聖書とタルムードに基づく宗教を実践するユダヤ人
- ヘブライ語の聖書のみが神の力による直接的な啓示を受けた法律の源であると認め、タルムードの後の聖書の伝統の権威を否定するユダヤ人のセクト
- タルムードに解釈されたモーセの律法を厳しく守るユダヤ人
- ユダヤ教の文書(主としてタルムード)の高度な研究のための専門学校
- それらが以前の教えを説明し適用したパレスチナとメソポタミアのロースクールでミシュナー法を議論して、議論がタルムードに記録されるラビのグループの1つ(現行の紀元後250年−500年)
- スペインの哲学者で、中世における最も偉大なユダヤ人の学者とみられ、タルムードでユダヤ法を成文化した(1135年−1204年)
- タルムードという,ユダヤ教の聖典
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