中世から現代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 21:07 UTC 版)
ローマ帝国分裂後、ラリサは東ローマ帝国の統治領となり、5世紀まで司教座が置かれた。その後ブルガリア帝国やセルビア王国に支配され、15世紀にはオスマン帝国の支配下にはいった。オスマン帝国時代のラリサは、ヤニナ州(ヴィライェト)にあるパシャが置かれた、トルコ語でイェニシェヒリ・フェナル("Yenişehr-i Fenar"=「ギリシャの新しい町」)として知られた。その間には古代の街並みは徐々になくなった。 ギリシャ独立戦争の際にはアリ・パシャ[要曖昧さ回避]の本営がラリサに置かれ、また、アリ・パシャによって徴収されたスーダンからのアフリカ兵の残りが、ラリサの郊外に集落を作り、居住した。1881年には大量のトルコ人が、ラリサから移住した。19世紀のラリサは、主に皮革や綿、絹、タバコなどの生産が有名であった。また、ラリサでは排水施設の不備や、川の氾濫によって熱病やマラリアなどが流行したこともあり、死亡率が出生率を上回ることもあった。 1897年の希土戦争の際には、ラリサは王太子コンスタンティノスの本営が置かれ、4月25日にはトルコ軍が占領した。平和条約締結後は、ラリサはギリシャ領に留まった。 現在、ラリサで有名なのは、20世紀の初めまで使用されていた、モスクのミナレットや、イスラム教徒の墓地である。
※この「中世から現代」の解説は、「ラリサ」の解説の一部です。
「中世から現代」を含む「ラリサ」の記事については、「ラリサ」の概要を参照ください。
- 中世から現代のページへのリンク