中世から現代までの使用
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/08 08:34 UTC 版)
ベルギーのトゥルネーにある聖マーティン教会の修道士であり、年代記の執筆者として知られるHériman of Tournai (1095—1147)は、「私は書字板にさえ大量の文字を書き留めた」と書き記した。 蝋板本の注目すべき例は、1500年に設立されたオーストリア最古の都市エンスの病院が記録した奉仕記録である。375 x 207 mm(14.76 x 8.15インチ)の大きさの10枚の木製の板が、90 mm(3.54インチ)の高さに積み重ねられたもので、それぞれ長軸の方向に2つに分けられている。このうち左側に、年ごとの支払った金額が、貼り付けられた羊皮紙もしくは紙に書かれている。右側には受け取った金額が、それぞれの控除のために記録(そして記録した後に消去)されており、この部分は筆記用に黒茶色の蝋で覆われている。素材は蜜蝋をベースにしており、5〜10%の植物油と炭素顔料が含まれている。その融点は約65℃である。この本はさらに以前から記録されていた物の続巻であり、最初の巻が開始されたのは1447年であった。 蝋板は商業において、ある程度の分量がある重要な記録を一時的に記録しておく用途で19世紀まで利用されていた。例えばシュヴェービッシュ・ハルの岩塩採掘局は、1812年まで蝋板を使用していた。ルーアンの魚市場では1860年代まで蝋板を使用していた。
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