中世から古典派まで
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初期の鍵盤楽器音楽は楽器の指定が無いことが普通で、チェンバロ、クラヴィコード、オルガンなどで演奏される。現存する最古の鍵盤楽器音楽とされるのは、14世紀のロバーツブリッジ写本(英語: Robertsbridge_Codex)である。 ルネサンス時代には、イベリア半島でアントニオ・デ・カベソンをはじめとする作曲家により、ティエントやディフェレンシアスなどの鍵盤楽器音楽が栄えた。ディエゴ・オルティスは『変奏論』 Trattado de Glossas (1553) でヴィオラ・ダ・ガンバとチェンバロの合奏について述べている。イギリスではウィリアム・バードやジョン・ブルなどの作曲家達により多くのチェンバロ曲が書かれ、『フィッツウィリアム・ヴァージナル・ブック』などの手稿で残されている。 バロック時代には、イタリアで劇的な感情の表出を重視したモノディ様式が生まれ、チェンバロは通奏低音のための楽器として重要な役割を担った。鍵盤楽器音楽においても劇的な表現が追求され、ジローラモ・フレスコバルディは、『トッカータ集 第1巻』 (1615) の序文において、厳格な拍子にとらわれない、情感に応じた自由な演奏を要求している。 18世紀にはナポリ出身のドメニコ・スカルラッティが、ポルトガル王女のバルバラ・デ・ブラガンサに音楽教師として仕え、555のソナタとして知られる個性的なチェンバロ曲を残している。 一方、ルイ14世時代のフランスではジャック・シャンピオン・ド・シャンボニエールやルイ・クープランをはじめとする作曲家によって、リュート音楽の延長上にチェンバロ(クラヴサン)音楽が栄え、スティル・ブリゼと呼ばれる分散奏法や、繊細な装飾音を多用した、優美な作品が多く生み出された。中心となるのはアルマンドやクーラントといった舞曲であり、これらを組み合わせた組曲はバロック時代のチェンバロ音楽を代表するジャンルの一つとなった。 フランスのクラヴサン音楽は18世紀前半、フランソワ・クープランやジャン=フィリップ・ラモーらの時代に繁栄の頂点に達する。彼らの作品においては、古典的な舞曲に代わって、描写的な標題を持つ作品が主体となっていった。その後、ジャック・デュフリやクロード=ベニーニュ・バルバトルらを輩出するものの、フランス革命の勃発により打撃を受けて、フランスのクラヴサン音楽は終焉を迎える。 ドイツのチェンバロ音楽は、イタリアとフランス双方の影響を受け、さらに北ドイツ・オルガン楽派の伝統が加わる。ヨハン・ゼバスティアン・バッハの作品には、それらの様式の高度な総合が見られる。バッハの息子や弟子の時代にはクラヴィコードが流行し、さらにピアノがそれに取って代わっていった。
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