中世から近世にかけての子午線弧の測量とは? わかりやすく解説

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中世から近世にかけての子午線弧の測量

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/14 10:11 UTC 版)

子午線弧」の記事における「中世から近世にかけての子午線弧の測量」の解説

8世紀に入ると中国でも子午線計測が行われた。玄宗より新暦編纂勅命受けた一行は、鉄勒から交州にかけての測量実施し緯度1度の子午線弧長35180歩(約123.7km)と算出した。この算定実際との誤差11パーセントである。9世紀前期には、アッバース朝第7代カリフであるアルマアムーンの命により、アル=フワーリズミーシンジャール平原において実施した角度測量によって多少良い結果算出された。ヨーロッパでは、それまで子午線弧測量が行われた記録残っておらず、14世紀ジョン・マンデヴィル編纂したとされる"The Travels of Sir John Mandeville" (大場正史訳「東方旅行記」, 東洋文庫第19巻, 平凡社, 1964, ISBN 9784582800197)において地球球形であることが言及されている程度であったが、16世紀になって、もともと医師生理学者であり、天文学数学にも関心持ったジャン・フェルネル(フランス語版英語版)が、経度ほぼ等しいパリ-アミアン間の緯度差を1度みなした上で荷車車軸回転数からその子午線弧長決定したことを、著書"Ioannis Fernelii Ambianatis Cosmotheoria, libros duos complexa" (1528)に書き記している。 1615年には三角測量よるものとしては最初の子午線弧長測量ヴィレブロルト・スネルにより行われたが、測量結果には数パーセント誤差があった。その約半世紀後の1669年ジャン・ピカール本格的な三角測量行い緯度1度相当する子午線弧長を0.3%程度精度測定したしかしながらこの頃辺りまでは地球の形状はあくまでも真球であるという前提の下に議論が行われていた。

※この「中世から近世にかけての子午線弧の測量」の解説は、「子午線弧」の解説の一部です。
「中世から近世にかけての子午線弧の測量」を含む「子午線弧」の記事については、「子午線弧」の概要を参照ください。

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