ジョン・マンデヴィル
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ジョン・マンデヴィル(Sir John Mandeville、? - 1372年11月12日?[1]/11月17日?[1][2])は、中世イングランドの騎士。中東、インド、中国、ジャワ島、スマトラ島の見聞録『東方旅行記(マンデヴィル旅行記)』の著者として知られる。
注釈
- ^ 写本によってマンデヴィルの出立の年と旅行記の執筆を終えた年は異なる。1889年に刊行されたエガートンの英訳本では旅立ちの日が1332年、他の写本では1322年となっている。執筆を終えた年について例を挙げれば、最古の写本の一つと考えられているパリ本では1357年、1725年に刊行されたコットンの英訳本とエガートン本では1366年となっている。(マンデヴィル『東方旅行記』(大場正史訳)、276-279,283,289-290頁)
出典
- ^ a b c ミルトン『コロンブスをペテンにかけた男』、132頁
- ^ a b c d マンデヴィル『東方旅行記』(大場正史訳)、284頁
- ^ a b 愛宕「マンデヴィル」『アジア歴史事典』8巻、395頁
- ^ ミルトン『コロンブスをペテンにかけた男』、12頁
- ^ マンデヴィル『東方旅行記』(大場正史訳)、291-293頁
- ^ ミルトン『コロンブスをペテンにかけた男』、73頁
- ^ ミルトン『コロンブスをペテンにかけた男』、18頁
- ^ マンデヴィル『東方旅行記』(大場正史訳)、282頁
- ^ ミルトン『コロンブスをペテンにかけた男』、339頁
- ^ 大沼「『マンデヴィルの旅行記』と「装置」としての語り手」『同志社大学英語英文学研究』91号、2頁
- ^ a b c d マクラウド『世界伝説歴史地図』、108頁
- ^ マンデヴィル『東方旅行記』(大場正史訳)、276-279頁
- ^ 大沼「『マンデヴィルの旅行記』と「装置」としての語り手」『同志社大学英語英文学研究』91号、2-3頁
- ^ a b c Catholic Encyclopedia (1913)/Jean de Mandeville
- ^ 大沼「『マンデヴィルの旅行記』と「装置」としての語り手」『同志社大学英語英文学研究』91号、4頁
- ^ 大沼「『マンデヴィルの旅行記』と「装置」としての語り手」『同志社大学英語英文学研究』91号、5-6頁
- ^ ミルトン『コロンブスをペテンにかけた男』、131,199-200頁
- ^ マンデヴィル『東方旅行記』(大場正史訳)、287-288頁
- ^ ミルトン『コロンブスをペテンにかけた男』、133頁
- ^ ミルトン『コロンブスをペテンにかけた男』、133-135頁
- ^ ミルトン『コロンブスをペテンにかけた男』、257-260頁
- ^ a b マンデヴィル『東方旅行記』(大場正史訳)、285頁
- ^ ミルトン『コロンブスをペテンにかけた男』、192-195頁
- 1 ジョン・マンデヴィルとは
- 2 ジョン・マンデヴィルの概要
- 3 訳書
「John Mandeville」の例文・使い方・用例・文例
- John AbrahamsとTina Linがアンケートデータの収集担当で、この作業は5 月5 日までに終わるでしょう。
- 今日は、皆さんをJohn Driscoll展にご案内する予定で、この展覧会は当美術館の30周年を記念して行われているものです。
- John Smith という名の英国人だ
- そんな英語を使うと Johnson が泣く
- 限定属格の例として、『John's mother(ジョンの母親)』における『John's(ジョンの)』がある
- 『John and Mary(ジョンとメアリー)』または『John walked and Mary rode(ジョンは歩き、そして、メアリーは乗り物に乗った)』における『and』、等位接続詞である;そして、『will you go or stay?(行くか、いてもらえますか?)』における『or』もそうである
- 『who visits frequently(その人はしばしば訪れる)』は、『John, who visits frequently, is ill(しばしば訪れるジョンは病気である)』の文の関係節である
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