中世から現代まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/13 03:06 UTC 版)
6世紀には中国で白く硬く薄い白磁が出現し、7世紀には鮮やかな唐三彩も生まれた。中国の陶磁器はイスラーム商人らによるセラミック・ロードと呼ばれる貿易ルートに乗り日本から中東までの広い地域へと輸出され、珍重され大きな影響を及ぼした。 イスラームの陶芸では磁器を模倣する努力が行われたがカオリンが入手できなかったことなどから果たせず、錫釉を用いて白い陶器が作られ、ラスター彩やミーナーイー手など多彩な独自の技法が生まれ陶芸が大きく栄えた。13世紀にはスペインへと流入したムスリムの陶工たちによりラスター彩陶器が作られイスパノ・モレスク陶器が誕生し、またイタリア・ルネサンスを代表する錫釉陶器であるマヨリカ焼きはマヨルカ島から持ち帰られたラスター彩陶器を起源としている。 大航海時代になると景徳鎮窯に代表される中国の磁器も直接ヨーロッパにもたらされるようになり、中国や日本の陶磁器は美術品として宮殿の「磁器の間」などに飾られるようになり評価が高まった。高品質な陶磁器製作の模索がなされるようになり、デルフト、マイセン、セーヴルなどの名窯が生まれた。 日本で独創的な陶芸が始まるのは桃山時代であり、千利休が茶陶を見出し新しい価値観を打ち立てたことで創造性が高まり、志野や唐津では絵付けが行われるようになる。江戸時代に入ると朝鮮の陶工たちにより磁器の伊万里焼が作られるようになり、明治時代までにかけヨーロッパへも輸出された。 産業革命に伴い陶磁器も現代的な施設で大量生産されるようになっていった中で、機能美を追求するウィリアム・モリスらのアーツ・アンド・クラフツ運動が起こり、小さな工房で芸術もしくは工芸としての陶芸(スタジオ・ポッタリー(英語版))が世界中で行われるようになっている。
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