中世から江戸時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/05 08:36 UTC 版)
記録上、御堂筋では無く大坂御堂筋と名が初めて現れるのは1615年(元和元年)、大坂夏の陣の豊臣方残党の追討などを記録した徳島藩の「大坂濫妨人落人改之帳」の中で、捕らえられた男女のうち、男1人の居場所として「大坂御堂筋」と記されているのが最初であるが、本来、名前は御堂筋であり大坂御堂筋ではない。 江戸時代以来、正式に御堂筋と呼ばれた区間は船場のうち淡路町通以南に過ぎず、淡路町通以北は淀屋橋筋と呼ばれていた。これは、淀屋橋から南下した淀屋橋筋が淡路町通で終わり、西へ少しずれて御堂筋が始まるため、別の道路と見なされていたことによる。淀屋橋筋は淀屋橋(土佐堀川)を渡って中之島へ出ることができ、現在のように一本道ではないが大江橋(堂島川)と蜆橋(曽根崎川)を渡って曾根崎新地へ出ることもできた。一方の御堂筋は長堀川への架橋はなく島之内へ出ることができず、堺筋・心斎橋筋などと比べて見劣りのする、人通りの少ない道であった。
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