中世から近代まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 04:38 UTC 版)
中世のピレネー山脈ではエスパドリーユがカジュアルな靴として一般に使われた。これは黄麻で編んだ靴底に布製のアッパーを被せたもので、足首を縛る布製の紐が付いていることが多かった。この名前はフランス語のエスパート(英語版)草から来ている。この靴は13世紀初頭にスペインのカタルーニャ地方から広まり、この地区の農村で農民が主に着用していた。 中世に作られた靴の多くは、革の内側を外に向けたアッパーを底に繋ぎ、端を縫って接続する回転靴(英語版)製法で制作された。一部の靴は足の周りの革を絞めつけてうまくフィットさせるためにトグルのフラップやドローストリング(英語版)を付ける形で制作された。現存する中世の靴の多くは左右対称で足にしっかりフィットする形になっていた。1500年頃になると回転靴製法は、固い靴底へ縫い付けてアッパーが裏返らなくなったウェルテッド・ランド製法に置き換わった。回転靴製法は現代でもダンス用など一部の特殊な靴に使われている。 15世紀になるとヨーロッパではパッテン(英語版)が男女の間で流行した。これは現代のハイヒールの祖先と見られている。一方で貧民や下級市民、新天地から連れてきた奴隷などは裸足だった。15世紀中頃のヨーロッパでクラコー(英語版)が流行した。この名前はポーランドの首都クラクフが起源だと考えられていたために付けられた。polaineと呼ばれる長いつま先があるのが特徴で、クジラのヒゲで支えられ、歩くのに邪魔になるため膝に結び付けていたとの説もある。また15世紀のトルコで18~20cm程の高さのショパン(英語版)が作られた。これらの靴はヴェネツィアをはじめとするヨーロッパ中で富や権力を示すステータスシンボルとして人気が高まった。16世紀中にカトリーヌ・ド・メディシスやメアリー1世といった王族が背を高く見せるためにヒールの高い靴を着用し始めた。1580年頃には男性たちも着用し、権力者や富裕層たちはこの靴をwell-heeled(裕福系)と呼んだ。 最終的に底付け製法の近代的な靴が発明された。17世紀からはほとんどの革靴が底付け製法になった。この製法は今日でもフォーマルシューズの基本となっている。1800年頃までは左右を区別しない形でのウェルト・ランド製法が主流だった。このような靴は今日ではストレートと呼ばれる。右用と左用の靴を区別する製法はあまり一般的にならなかった。
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