中世と19世紀末のフィロキセラ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/11/05 02:57 UTC 版)
「プリオラート (DOQ)」の記事における「中世と19世紀末のフィロキセラ」の解説
1194年にはカルトゥジオ会のスカラ・デイ修道院がこの地に建設され、修道士たちがこの地にブドウ栽培を導入してワイン生産を行っていた。スペイン語でprioratoは(小修道院)という意味を持つ。修道院の所有地は1835年に国家によって没収され、小規模農家に分配されたため、修道院は解散した。 19世紀末にフランス・ボルドーでフィロキセラが蔓延した際には、スペインの赤ワイン産地の多くがフランスワインの代替産地として活気づき、タラゴナ県の産地はブレンド用の原酒を大量に生産した。この時期には5,000ヘクタールのブドウ畑があったとされるが、1890年代から1910年代にはプリオラートのブドウ畑もフィロキセラの災禍に見舞われた。この時期の文献にプリオラートという名前は登場せず、初めてプリオラートが文献で言及されるのは1971年のことである。
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