退廃芸術弾圧の代償
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 00:54 UTC 版)
退廃芸術弾圧の代償は余りにも大きいものであった。第二次世界大戦によって、ドイツでも中世から近代までの多くの美術作品や歴史的建築などが永久に失われた。 戦間期に形成されていた美術館や個人コレクターによる世界有数の近代美術コレクションは、押収や海外への売却によって解体され、アメリカ合衆国やスイスなどへ国外流出し、ドイツはゼロから印象派などのコレクションを再形成しなければならないことになった。 ナチス崩壊で、ナチスに支えられていた御用画家や彫刻家たちは失脚した一方、退廃美術弾圧によりドイツやヨーロッパの優れた芸術家が、あるいは命を落とし、あるいはアメリカ合衆国へと去ってしまった。ドイツは芸術を破壊した国家という汚名をかぶることになった。 汚名を雪ぐための、また近代美術家の名誉を回復するための動きもあった。ドイツに残っていたノルデらは戦後表彰を受けて地位を回復した。1955年に、カッセルで開かれ今日まで続いている現代美術展『ドクメンタ』は、第一回目は近代美術の見直しが目的であり、かつて退廃とされた芸術家が招待された。 芸術的な荒野と化したドイツから、影響力のある作家が再び登場するのは、1960年代のフルクサスの時代、また、ヨゼフ・ボイス、ゲルハルト・リヒター、アンゼルム・キーファーら、ナチスの行為やドイツの民族性を、あえて受け入れて制作する作家たちの登場を待たねばならない。
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