退廃芸術家の放浪と作品制作禁止命令
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 00:54 UTC 版)
「退廃芸術」の記事における「退廃芸術家の放浪と作品制作禁止命令」の解説
退廃芸術展に出展された画家や彫刻家、その多くは表現主義など前衛的な芸術家であるが、彼らはもはや「国家の敵」で「ドイツ民族の脅威」とみなされた。芸術家たちは評判も信用も失い、ドイツ国内外を放浪し始めた。マックス・ベックマンは、ミュンヘンの退廃芸術展の開幕日、アムステルダムへ逃亡した。マックス・エルンストはペギー・グッゲンハイムの助力でアメリカ合衆国に移民した。エルンスト・ルートヴィヒ・キルヒナーは1938年、スイスで自殺した。パウル・クレーもスイス各地を放浪したが、ドイツで退廃芸術家として分類されていたためにスイス市民権を得ることができなかった。 エルンスト・バルラハなどドイツに残った退廃芸術家たちは大学などの職を失い、全国造形美術院から「民族と国家に責任を負う文化の仕事にふさわしくない」として除名の通知が届き、以後の芸術活動を一切禁止された。こうした画家たちは画材を買うことすら当局に監視され、制作継続が困難となった。またゲシュタポによる抜き打ち捜査対象となり、制作をひそかに続けていないかどうか厳しくチェックされた。エミール・ノルデのように、ユダヤ人嫌いで1920年からナチスに入党していた人物ですら、退廃芸術家の烙印を押された以上、制作を続けることができず、数人の友人に支えられ『描かれざる絵』という小さな水彩画を見つからないように描きながら戦時中を生き延びる。 そして、フェリックス・ヌスバウムら、ドイツに踏みとどまったユダヤ系の作家たちは後に強制収容所へと送られて死亡することになる。この時期に死亡した上に、押収などで代表作を失って半ば忘れられた美術家も多く、その再発見には現在もなお多くの困難がある。
※この「退廃芸術家の放浪と作品制作禁止命令」の解説は、「退廃芸術」の解説の一部です。
「退廃芸術家の放浪と作品制作禁止命令」を含む「退廃芸術」の記事については、「退廃芸術」の概要を参照ください。
- 退廃芸術家の放浪と作品制作禁止命令のページへのリンク