市民権を得る
市民権を得る
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/01 18:46 UTC 版)
「チャールズ・ジェンキンス」の記事における「市民権を得る」の解説
1972年6月30日、北朝鮮の市民権が与えられた。4人のアメリカ人はばらばらにされ、ジェンキンスとドレスノクは勝湖区域立石里に移り、それぞれ家と料理人が与えられた。パリッシュとアブシャーには、その後、7年間も会えなかった。 料理人は監視役を兼ねていた。最初は、リ・スンジという女性であったが、彼女は「米国人のような犬のために料理するのはごめんだわ」と宣告し、果たしてその通りほとんど料理はしなかったし、掃除もしなかった。性格的にも合わなかった。当初はいろいろと脅迫してきたが、彼女は養蜂箱を持っていて蜂蜜を現金に交換し、外貨商店にはジェンキンスが行って彼女の欲しいものを買ってやるという取引が成り立った。 1973年5月1日、平壌の士官学校で英語を教えるよう指示された。ここで腕に「USアーミー」の入れ墨が彫ってあったことが見つかり、この年の夏、その文字が切除された。麻酔なしでだった。北朝鮮の英語教育はイギリス英語が採用されていたため、彼の話すアメリカ英語は同国の生徒や教師に驚きをもって迎えられたという。1976年8月、士官学校が閉鎖になって英語教師の仕事が解かれた。1978年、ドレスノク、パリッシュ、アブシャーの3人が結婚した。相手はいずれも拉致被害者であった。 リ・スンジの次の料理人はコ・チュンミという女性だったが、1日1回は必ず激しい発作を起こし、机はひっくり返すし、体は痙攣を起こし、転げ回って舌をかむという具合でどうにもならなかった。この女性は「組織」に引き取ってもらうことをお願いし、1980年1月、彼女は連れ去られた。
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