チャールズ・ジェンキンス
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チャールズ・ロバート・ジェンキンス(Charles Robert Jenkins、1940年2月18日 - 2017年12月11日[1][2])は、アメリカ合衆国の軍人。在籍時の最終階級は陸軍軍曹(1965年)だったが、2004年の不名誉除隊処分に際し二等兵に降格されている。
注釈
- ^ 彼の「脱走期間」は、非武装地帯(DMZ)を越えて北朝鮮入りした1965年1月5日から在日米軍基地キャンプ座間へ出頭する2004年9月11日までの約39年8か月で、米国陸軍に復帰した脱走兵では最長記録を更新した[5]。
- ^ ジェンキンス自身の記憶によれば、ビール10缶を一人で飲んで残り2缶は誰かにあげたという[13]。
- ^ 彼が逃亡したときの大統領はリンドン・ジョンソンであり、アポロ11号の月面着陸(1969年7月24日)よりも前であった[14] 。
- ^ この言葉にジェンキンスはなんと単純で場当たり的で奇妙な人間かと驚き、いつまでも忘れることができなかったと述べている[16]。ただ、のちに3人のなかでジェンキンスが一番仲良くなるのはアブシャーであった[16]。
- ^ ドレスノクは、平気で仲間を裏切り、簡単に幹部たちのイヌになってしまう人間であった[19]。ジェンキンスが何か違反行為をすると、幹部は彼を殴りつけるようドレスノクに命じ、ドレスノクは喜び勇んでそれに従うということが少なくとも30回はあったという[19]。
- ^ キム・ヘギョンは陸軍の車で空港に乗り付けた[31]。なお、曽我ひとみの北朝鮮での名がミン・ヘギョンであった[24]。ヘギョンは横田が親友である曽我ひとみの名をつけたものと考えられる[32]。
- ^ ブリンダは本来ブレンダのつもりで、異父妹の名によったという[29]。故郷の家族とつながりのある名前をつけたかったからだが、ほかの5人の姉妹たちを傷つけたくないという思いもあった[29]。ブレンダは末妹で母が再婚した後の子でもあり、この名前なら故郷の家族全員に敬意をあらわすことができるのではないかとジェンキンスは考えたという[29]。それがいつの間にかブリンダになってしまった[29]。
出典
- ^ “曽我ひとみさん夫、C・ジェンキンスさん死去”. 読売新聞. (2017年12月12日) 2017年12月12日閲覧。
- ^ “拉致被害者 曽我ひとみさんの夫 ジェンキンスさん死去”. NHK. (2017年12月12日). オリジナルの2017年12月12日時点におけるアーカイブ。 2017年12月12日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j “Deserter Recalls N. Korean Hell”. CBS News
- ^ “ジェンキンス氏「アイドル的存在だった」 佐渡で悼む”. 朝日新聞デジタル (2017年12月13日). 2020年2月14日閲覧。
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- ^ a b c d ジェンキンス(2006)pp.19-23
- ^ a b c d e f g h ジェンキンス(2006)pp.23-27
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- ^ a b “The strange saga of Charles Robert Jenkins”. Asia Times (2004年6月5日). 2015年4月6日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k ジェンキンス(2006)pp.36-41
- ^ a b c d ジェンキンス(2006)pp.41-43
- ^ staff (2004年7月9日). “Japan abductee meets family again”. BBC News
- ^ a b c d e ジェンキンス(2006)pp.60-66
- ^ a b c d e f g h ジェンキンス(2006)pp.57-61
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- ^ 제킨스 부부 재회, 수교 실무 회담 곧 재개 - KBS NEWS(韓国放送公社)(韓国語)(KBSニュース9、2004年7月9日)
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- ^ 피랍 젠킨스 가족 일본 도착 - KBS NEWS(韓国放送公社)(韓国語)(KBSニュース9、2004年7月18日)
- ^ "Japan asks U.S. to pardon abductee's American husband", The Japan Times Online, May 16, 2004 (accessed April 18, 2010)
- ^ ジェンキンスさん、キャンプ座間に出頭
- ^ a b ジェンキンス(2006)pp.264-266
- ^ ジェンキンス(2006)pp.272-277
- ^ “Charles Robert Jenkins with Jim Frederick: The Reluctant Communist”, New titles, University of California Press 2008年3月15日閲覧。
- ^ Schoenfeld, Gabriel (2008-03-13), “Bookshelf: To Hell and Back”, The Wall Street Journal: D9 2008年3月15日閲覧。
- ^ a b ジェンキンス(2006)pp.285-286
- ^ “Jenkins gets permanent residency”. The Japan Times. (2008年7月16日) 2009年9月26日閲覧。
- ^ ジェンキンスさんに永住許可「死ぬまでここにいたい」. 読売新聞 Internet Japanese edition, July 15, 2008. Retrieved on July 16, 2008 (日本語).
- ^ “拉致被害者の曽我ひとみさん夫、ジェンキンスさん死去 元米軍人 77歳”. 産経新聞. (2017年12月12日) 2017年12月12日閲覧。
- ^ a b 山田敏弘「波乱の人生の平穏な最終章」『ニューズウィーク日本語版』 2017年12月26日号 p. 40-41.
- ^ a b "An American in North Korea", 60 Minutes, CBS Television. Produced by Robert G. Anderson and Casey Morgan. Reported by Bob Simon. First broadcast on January 28, 2007.
- 1 チャールズ・ジェンキンスとは
- 2 チャールズ・ジェンキンスの概要
- 3 他の在朝米軍兵士
- 4 外部リンク
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