同居人たち
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/01 18:46 UTC 版)
「チャールズ・ジェンキンス」の記事における「同居人たち」の解説
北朝鮮に入った彼は10日以上尋問を受けたあと、1965年1月末には身柄を平壌の寺洞区域に移され、すでにそこにいた脱走兵たち(ドレスノク、パリッシュ、アブシャー)たちと合流させられた。アブシャーは不在で大腸炎で入院していた。ドレスノクとパリッシュからは質問攻めにあった。どうして軍曹であるジェンキンスが脱走したのか聞かれたので「ベトナムに行きたくなかった」と答えると、ドレスノクは「あなたは片足を煮え湯の鍋に突っ込んでいたのかもしれないが、ここへ来たら火の中に飛び込んだも同然だ」と話した。数日後、入院しているアブシャーと面会すると、彼は顔を合わすなりジェンキンスに金は持っているかと尋ねた 1965年6月、彼らは寺洞から万景台区域へと移された。万景台に移って間もなく、アブシャーが退院して加わったが、ドレスノクはさっそくアブシャーの性格の弱さに付け込んでこき使った。ドレスノクは着ていた服を投げ出しては拾えだの洗えだのと命じ、アブシャーはその通りにやってしまう。身長196センチ、体重120キログラムという巨漢の彼は生まれついてのガキ大将タイプで、見かねたジェンキンスがアブシャーにドレスノクの言うことをきくのはやめろと言い、さらに洗濯を拒んだアブシャーにドレスノクが詰め寄ったとき、彼はドレスノクに先制パンチを食らわした。その後、アブシャーがいじめられることはなくなったが、ドレスノクとジェンキンスの荒々しい関係の始まりになった。 1966年春、配給が乏しくなってきたとき、配給担当の者が品不足のため肉の缶詰が配給できないと伝える一方、豚1匹を連れてきたことがあった。4人は春から夏にかけて豚1匹を太らせるために悪戦苦闘したが、晩秋になってようやく肥えてきて、肉の保存に適した寒冷な気候になったとき幹部たちの一団がやってきて彼らの目の前で解体しだした。アブシャーが罵り声を挙げて銃口を突き付けられた。その場はアブシャーが謝罪して収まったが、さすがに4人は収まらず、朝鮮労働党本部へ行って指導員が配給品を横流ししていると訴えた。さらに、ソ連大使館がすぐ先に見えたので、亡命を申請したがこれは失敗に終わった。その後4人は、1967年秋には太陽里の新しい住居に移った。1969年3月、4人は貨泉の家に移った。
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