ジェリー・パリッシュ
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ジェリー・ウェイン・パリッシュ(英語: Jerry Wayne Parrish、1944年3月10日 - 1998年8月25日。朝鮮名はキム・ユイルで知られる[1])は、朝鮮戦争後に北朝鮮に亡命した6人のアメリカ兵のうちの1人。アメリカ陸軍の伍長(特技官)であった。
注釈
- ^ アノーチャは1989年4月、ドイツ人と再婚するために立石里のアパートを離れた[11]。アノーチャとジェンキンスと曽我ひとみの3人でお別れのパーティーを開いた[11]。
- ^ ジェンキンスは、夫婦となっていた拉致被害者の石岡亨と有本恵子を平壌市内で目撃したことを、手記に記している[12]。それによれば、目撃したのは1986年のある日で、場所は外貨専門の楽園百貨店、ジェンキンス夫妻とパリッシュ夫妻の4人で買い物に来ていた[12]。有本とシハームは産科病院での出産以来の知り合いのようにみえた[12]。石岡とパリッシュは簡単に言葉をかわしていたが、ジェンキンスは北朝鮮に来て以来、石岡ほどきれいな英語を話す外国人には会ったことがなかったとふりかえっている[12]。なお、石岡・有本の夫妻はテープレコーダーを買いに来ているようであった[12]。
- ^ シハームの母親は2005年12月、日本を訪れ、東京および大阪で開かれた「家族会」「救う会」、「拉致議連」主催の国民大集会に参加して娘の解放を訴え、第3次小泉改造内閣の麻生太郎外務大臣、安倍晋三内閣官房長官とも面談した[8]
出典
- ^ a b Johannes Schönherr (13 August 2012). North Korean Cinema: A History. McFarland. p. 61. ISBN 978-0-7864-6526-2
- ^ a b Kirk, Jeremy (2004年9月9日). “Four Decades in North Korea”. Far Eastern Economic Review. 2004年9月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年6月3日閲覧。
- ^ a b ジェンキンス(2006)pp.57-60
- ^ a b c d e ジェンキンス(2006)pp.292-298
- ^ The Reluctant Communist. Charles Robert Jenkins (University of California Press) p.34
- ^ ジェンキンス(2006)pp.97-98
- ^ a b c ジェンキンス(2006)pp.111-113
- ^ a b “フランス人、イタリア人、オランダ人拉致被害者に関する有力情報”. 救う会全国協議会ニュース. 北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会 (2006年3月10日). 2021年10月23日閲覧。
- ^ “救う会TV第9回「金正日の拉致指令-1978年に起きた世界規模の拉致」”. 救う会全国協議会ニュース. 北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会 (2020年6月5日). 2021年10月23日閲覧。
- ^ a b c d e ジェンキンス(2006)pp.163-168
- ^ a b ジェンキンス(2006)p.177
- ^ a b c d e ジェンキンス(2006)pp.168-171
- ^ "The US defectors who became film stars in North Korea", BBC News, 23 September 2015
- ^ a b c d e f g 高世(2006)pp.212-213
- ^ ジェンキンス(2006)p.147
- ^ a b c d e ジェンキンス(2006)p.200
- 1 ジェリー・パリッシュとは
- 2 ジェリー・パリッシュの概要
- 3 参考文献
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