拉致・目撃情報とは? わかりやすく解説

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拉致・目撃情報

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/01 18:53 UTC 版)

ドイナ・ブンベア」の記事における「拉致・目撃情報」の解説

ルーマニア紙『Evenimentul Zilei(英語版)』の2007年3月20日号などによればドイナ・ブンベア1978年10月ローマで拉致されたとみられ、失踪直前、彼女はルーマニア両親何度も電話をかけ、直前日本美術展覧会開かないかとのオファーを「自称イタリア人」から受けたことで興奮していたという。ジェンキンス著書ではドイナは美術商のようにみえる自称イタリア人」から経歴暮らしぶり聞かれ個展ツアー持ちかけられて「香港などどうだろう」と誘惑されたと記している。いずれにしても、「自称イタリア人」は実際に北朝鮮人間北朝鮮支持者北朝鮮雇われ工作員であった。ドイナは、ルーマニア旅券イタリア旅券持っていなかったので、男がつくってくれた北朝鮮偽造旅券持って旅立ったソビエト連邦領内問題なく通過したが、北朝鮮寄ったところを当局拘束された。拘束理由偽造旅券ということであったが、まさにその通りであったために言い逃れできなかった。結局のところ彼女は騙されたのであり、どこへも行くことができなくなってしまった。家族は、彼女の友人(を名乗る人物)からは「ドイナが死亡した」との電話受け取った。しかし家族その3日後に、ドイナ本人からの「拉致されている」との電話受け取っている。 チャールズ・ジェンキンスによればジェンキンスら4人のアメリカ陸軍投降兵は1972年まで小家屋での軟禁状態に置かれた。そのうち1人ジェームズ・ドレスノク結婚相手ドイナ・ブンベアであった2人のあいだには1980年暮れ生まれたリカルド1984年春に生まれたガブリエル2人の息子がいた。ガブリエルは「ガビ」と呼ばれていた。ドイナの家族が、イギリス制作ドキュメンタリー番組休戦ライン超えて (Crossing the Line)』を2006年末に視聴したところ、ドイナの息子ガブリエル登場しており、彼女によく似ていたという。彼女は、自分愛した弟の名を次男につけた思われる1978年、ドレスノク、ジェリー・パリッシュラリー・アレン・アブシャーの3人の脱走者は、いずれも北朝鮮によって拉致されてきた外国人結婚し1980年にはジェンキンス曽我ひとみ結婚しそれぞれの家庭途中離れ離れになったことがあったが、1981年以降平壌勝湖区域立石里に同じ3階建てアパート2階3階転居させられ、そこで暮らしていた。なお、1979年から1981年にかけて北朝鮮制作されていたスパイ映画『名もなき英雄たち』にドイナ自身出演していたという。 チャールズ・ジェンキンス告白』には、ドイナが曽我ひとみいじめたことがあるという記述があり、それを読んだドイナの母は日本の「救う会」のメンバーに会うなり「曽我ひとみ謝罪したい」「決しそういう子ではなかった」と語ったという。またドイナが曽我ひとみ教えた料理のひとつに、ドイナの母がドイナに伝えたものがあったという。 ドイナ・ブンベア1996年肺がん診断された。医師からの説明は、すでに進行していて手の施しようがないというものであった退院して間もなく体調悪化し、約半年持ちこたえたが、最後の数か月はひどく苦しんだ看護師でもあった曽我ひとみ毎晩ドイナを見舞ってモルヒネ注射してやっていた。1997年1月ドイナ・ブンベアは癌で死去した46歳であった。彼女の最期曽我ひとみ看取った北朝鮮の土に埋葬されたくないというドイナの希望により、遺体火葬された。なおドレスノクはその後1999年北朝鮮人とトーゴ人の混血女性ダダ再婚した

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拉致・目撃情報

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/16 16:45 UTC 版)

松本京子 (拉致被害者)」の記事における「拉致・目撃情報」の解説

松本京子が行不明となったのは1977年昭和52年10月21日のことで、その日午後8時頃、母の三江に「編み物教室行ってくると言って自宅出た後のことである。普段着のままで、現金所持していなかったという。近所の住人が、彼女の自宅から200メートルほど離れた住宅の裏松林男性2人話している京子目撃し男たちに「何をしている」と声をかけたところ、2人のうちの1人からいきなり頭を殴られたという。目撃者は額に数針縫うケガをした。その後、彼女は家の近く日本海の方へ連れていかれ、連れ去られとみられる現場サンダル片方残して失踪した。娘を突然失った彼女の母親は、毎日毎日海岸を「京子京子」と呼びながら探し回り近所探し回った何の手がかり得られず、家族悲しみ沈んでいた。その後調べで、北朝鮮目撃したとの情報失踪直前現場付近航行していた不審船北朝鮮工作船とみられる)の存在判明した。なお、この事件前後石川県能登半島宇出津海岸警備員久米裕当時52歳)が連れ去られ事件9月19日新潟県新潟市中学1年生だった横田めぐみ当時13歳が行不明となった事件11月15日起こっている。 松本京子の兄は、1988年昭和63年)に大韓航空機爆破事件1987年)後の韓国での取り調べ中に実行犯金賢姫自身日本語教育係として「李恩恵」(仮名)の名を挙げ、そのモンタージュ写真報道されたとき、「もしかしたら北朝鮮にいるのかな」と初め思ったという。それが確信変わったのは、1990年平成2年)の福井県沖の不審船事件報道接したときであった2000年平成12年11月1日付の金子善次郎議員当時民主党所属)による国会で質問主意書対し当時日本国政府第2次森内閣)は12月5日付で「所用調査実施したが、北朝鮮拉致されたと疑わせる状況等はなかったものと承知している」と答弁している。しかし、政府2002年平成14年10月末のクアラルンプールでの日朝交渉の際、非公式に松本京子小住健蔵田中実の3名について安否確認北朝鮮求めた北朝鮮側は、入国確認できなかったと説明している。 2000年韓国亡命した北朝鮮の元国家保衛部将校の「金国石」(仮名)は、2003年平成15年)、松本京子北朝鮮目撃した証言した。それによれば、「金」は1994年から1997年の間、北朝鮮領内日本海沿岸清津連絡所咸鏡北道清津市)で「キョウコ」なる女性4度目撃し、彼女の写真にとてもよく似ているという。「金国石」は、目撃した彼女は明朗な性格のように見え、よく笑いながら話していたという。彼女は、日本語教えたり日本からの資料翻訳したり、日本ラジオテレビ傍聴したりして暮らしているようであった清津連絡所中庭日本から運ばれ中古車数十台があり、彼女がそのなかの日産・ブルーバード座席座って自動車についていろいろと説明していたことがあり、そのとき本人会話交わしている。そのとき、彼女はトランクのなかにあったゲーム機のようなものを取り出して清津連絡所参謀長に「これを貰ってよいですか?」と聞いていた。彼女は連絡所外に出ることはあまりなかったように見えたが、赤い服を着ていて、髪型もおしゃれで洗練されていたという。 2004年平成16年1月29日特定失踪者問題調査会鳥取県米子警察署告発状提出した日本国政府2006年平成18年11月20日松本京子拉致被害者として認定した事件発生から29年後のことであった2013年平成25年5月30日ラオス拘束され北朝鮮強制送還された脱北者9名の中に松本京子の子息が含まれている可能性がある、と東亜日報など韓国一部マスコミ報じた京子の兄は同日、「息子がいるとは知らなかった」「事実なら生存の可能性が高まる」とコメントした。しかし、韓国政府はこの報道対し否定的で、5月31日韓国拉致被害者家族でつくる「拉北者家族会」代表の崔成龍松本について、北朝鮮結婚した子供はいないとの情報2003年時点入手していたことを明らかにした。それによれば松本京子花き栽培所に勤務しており、2011年清津から平壌移住させられたという。大韓民国国家情報院拉北者家族会同様の見解立っている。しかし、これらの情報について日本政府は「捜査中」であるとの理由から何ら見解示していない状態である。

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