中世から20世紀
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/09/15 06:13 UTC 版)
レスコヴァツの戦いが1454年9月24日にセルビア専制国とオスマン帝国との間で起こったが最終的にはセルビア側が勝利している。洗礼者ヨハネ教会が16世紀に建てられた。第一次セルビア蜂起やセルビア蜂起の間、セルビア正教会の建築は町では禁止されていたため、町の司祭者のための住居や煙突の追加と言うことでトルコの支配者を欺き、煙突を意図した名称であるオジャクリヤ(Odžaklija)と呼ばれる教会が建てられている。レスコヴァツはベルリン条約後、オスマン帝国から完全に独立し、セルビアの領土となっているが完全な独立はオスマン帝国にとってバルカンにおいては交易にとって悪い影響となっているが、レスコヴァツは手工業であった麻のロープにより利益を得ておりバルカンでは著名であった。1878年までのオスマン支配時、レスコフシャとして知られニシュサンジャクの一部分であった。独立直後からは3台の水車が稼働し、この地域でレースが製造され始めている。1896年、企業の設立者たちは共同出資によって羊毛布の製造のためドイツ帝国から生産設備を購入している。これは町の郊外においては最初の工場となった。1903年、麻の加工工場が旧市街中心部の河岸の北側に造られている。1922年、テオカレヴィチ家(Teokarevic)が羊毛布工場をレスコヴァツ近くの小さな町であるヴチィエ(Vucje)に開業させた。1938年当時、民間企業による織物工場によりレスコヴァツでは2,560人が雇用されていた。1870年代は数千の麻加工者がレスコヴァツにおり、荷車150,000台分が製造されていた。
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