希土戦争
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/15 09:23 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動希土戦争(きとせんそう)は、現在のギリシャとトルコ(もしくはそれらの前身に当たる国家)の間の戦争。
- オスマン・東ローマ戦争 - 13世紀から15世紀にかけての戦争。最終的にはオスマン帝国が東ローマ帝国を滅ぼした(1453年)。
- ギリシャ独立戦争 - 1821年に起きた独立を目指すギリシャ第一共和国とオスマン帝国との戦争。ギリシャが勝利した。
- 希土戦争 (1897年) - クレタ島をめぐるギリシャ王国とオスマン帝国との戦争。オスマン帝国が勝利した。
- 第一次バルカン戦争 - 1912年に起きたギリシャを含むバルカン同盟とオスマン帝国との戦争。ギリシャが勝利した。
- 希土戦争 (1919年-1922年) - 第一次世界大戦後に起きたギリシャ王国とトルコとの戦争。トルコ(アンカラ政府)が勝利した。
関連項目
- 露土戦争
- ヨーロッパにおけるオスマン帝国の戦争
希土戦争
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/07/17 03:43 UTC 版)
「アレクサンドルーポリ」の記事における「希土戦争」の解説
希土戦争(1919年-1922年)でのギリシアの敗北により、ギリシア軍はパンガロス将軍の指揮下で、東トラキア地方からアレクサンドルーポリ地域まで撤退した。ブルガリアはこの機会に、アレクサンドルーポリをブルガリアに割譲するか、どこにも属さない中立地帯にするよう要求したが、どちらもギリシアに拒絶され、国際連盟の支持も得られなかった。 1923年7月24日には、ローザンヌ条約により、西トラキア地方とアレクサンドルーポリはギリシアの支配下にとどまることが確定した。ブルガリアにアレクサンドルーポリ港の使用を許可していた前の協定は失効していたために、ギリシアの首相スティリアノス・ゴナタスは、二国間の関係を向上させるために協定の更新を試みたが、失敗した。
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