サカリヤの戦い
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/17 07:01 UTC 版)
「希土戦争 (1919年-1922年)」の記事における「サカリヤの戦い」の解説
詳細は「サカリヤの戦い(英語版)」を参照 トルコ国民議会はケマルを総司令官に任命し、直接指揮にあたらせることになったが、落馬して肋骨を折ったため、フェヴズィ・パシャが実質的な指揮をとった。トルコ軍はアンカラ西方サカリヤ川沿いに100kmに及ぶ塹壕線を築き、数に勝るギリシャ軍に対峙し、事態は消耗戦の様相を呈してきた。ゲリラにより補給を寸断されていたギリシャ軍は次第に押され気味になり、9月12日にトルコ軍が攻勢に出ると、これを支えきれず全面撤退に入った。トルコ軍には追撃を行う余力はなく、ギリシャ軍は200km後方のイズミルまで撤退した。
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