第2回ケベック会談
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第2回ケベック会談(だい2かいケベックかいだん、コードネーム“OCTAGON”)は、第二次世界大戦中にイギリスとアメリカ合衆国、カナダで開かれた軍事に関する首脳会談。
概要
カナダのケベック・シティーで、1944年9月12日から9月16日に行われた。1943年のケベック会談との関係で、第2回ケベック会談と呼ばれる。主な出席者は、イギリス首相のウィンストン・チャーチルとアメリカ合衆国大統領のフランクリン・ルーズベルト、ホスト役としてカナダ首相のウィリアム・ライアン・マッケンジー・キング、またチャーチルとルーズベルトに招かれてオーストリア元皇太子オットー・フォン・ハプスブルクも参加した。
主な合意事項は、ナチス・ドイツ降伏後の占領統治に関するモーゲンソー・プラン、アメリカのイギリスに対するレンドリース法による経済援助の継続、太平洋戦争へのイギリス海軍の関与形態である。モーゲンソー・プランは、イギリスの反対で、アメリカによる当初案よりも過酷性が緩和された内容で合意された。対日戦へのイギリスの関与については、イギリス海軍艦艇による第57任務部隊(実質はイギリス太平洋艦隊, en)の編成とアメリカ海軍の指揮下編入が決定され、1945年3月の沖縄戦から実現することになった[1]。連合国での勝利に向けた計画を検討するために有益な会談であった。
ハイドパークの密約(Hyde Park Agreement)で、日本への原爆投下が予定された[2]。
脚注
- ^ BBC Factfile: Second Quebec Conference
- ^ 鹿児島大学 原爆はこうしてつくられ落とされた 八.原爆開発の進展 (六)運命の決定、日本への原爆行使
参考文献
- John L. Chase "The Development of the Morgenthau Plan Through the Quebec Conference" The Journal of Politics, Vol. 16, No. 2 (May, 1954), pp. 324-359
関連項目
外部リンク
第2回ケベック会談
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「モーゲンソー・プラン」の記事における「第2回ケベック会談」の解説
1944年9月12日から9月16日にかけてカナダのケベック・シティで行われた軍高官による会議・第2回ケベック会談で、ルーズベルト大統領とチャーチル首相を代表とする米国政府と英国政府は多くの協議と合意を行ったが、この中にモーゲンソー財務長官のメモ原案に基づくドイツ降伏後の計画についても合意した。チャーチルが書き直した覚書では、「ルールとザールにある戦争を起こす産業を除去し […] ドイツを農業と田園を第一の特徴とする国家に変えることを期待する」と書かれている。 この覚書は、後に占領下ドイツで発効した「産業非武装化」計画とともに「モーゲンソー・プラン」の名で知られるようになる(合衆国国務省の、1944年ケベック会談における「合衆国の対外関係」文書のpp. 466–467 に署名入り覚書が公開されている)。
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