3月2~3日にかけて行われた中国軍砲兵第101団第1営の追撃戦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/03 16:06 UTC 版)
「百武俊吉」の記事における「3月2~3日にかけて行われた中国軍砲兵第101団第1営の追撃戦」の解説
前述の戦闘に引き続き行われた戦闘である。稼働車両が装甲車1輌のみだったので、追撃部隊である歩兵第17連隊から九二式重装甲車1輌を借りたが、それでも戦力は装甲車2輌、乗用車1輌、トラック1輌のみであった。ただ、機動力が重要となる追撃戦闘だったこともあり、機動力に優れる装甲車はその能力を遺憾なく発揮した。百武大尉、兵1名が負傷したが、中国軍に戦死500名、負傷1000名(あくまで日本側の記録による)の損害を与え、壊滅させた。追撃距離は実に140kmに及んだ。 このように百武大尉はその指揮能力を遺憾なく発揮した。同月4日の承徳攻略でも歩兵に先駆け市内に突入している。
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