「馬道」の町名変遷
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/08 08:03 UTC 版)
浅草寺の近くにはかつて馬道(うまみち)という町名があった。馬道は浅草寺東側を南北に通る道の名で、現在も道路や交差点の名称としては使用されているが、町名としては昭和41年(1966年)に廃止された。この地区の町名は明治初期以来たびたび変更され、複雑な経緯をたどっている。以下にその概要を示す。 浅草寺境内地には南谷、東谷、北谷と通称される場所があった。南谷は浅草寺表参道付近を指した通称で、現在の仲見世商店街周辺にあたる。東谷と北谷は随身門(現・二天門)外の東側と北側の、浅草寺の子院群が立ち並んでいた地区の通称である。この南谷、東谷、北谷のほか、浅草寺境内東側の北馬道町、南馬道町、南馬道新町などの区域の町名を再編して、明治10年(1877年)に浅草馬道町一〜八丁目が成立した。南谷、東谷、北谷は、浅草寺境内地の上地(官による没収)に伴い明治5年(1872年)に正式の町名が付され、南谷が宮戸町(みやこちょう)、東谷が三社町(みやしろちょう)一・二丁目、北谷が吾妻町と命名された。しかし、これらの町名は長続きせず、明治6年(1873年)頃、宮戸町は浅草寺地中借地町屋、三社町一・二丁目と吾妻町は浅草寺地中上地町屋と改称された。これらの旧地名と浅草馬道町一〜八丁目の対応関係は以下のとおりである。 浅草馬道町一丁目 - 南谷東側(宮戸町→浅草寺地中借地町屋) 浅草馬道町二丁目 - 南谷東側(宮戸町→浅草寺地中借地町屋)、南馬道町(一部) 浅草馬道町三丁目 - 南馬道新町 浅草馬道町四丁目 - 東谷南側(三社町一・二丁目→浅草寺地中上地町屋) 浅草馬道町五丁目 - 南馬道町(一部)、北馬道町(一部) 浅草馬道町六丁目 - 東谷北側(三社町一・二丁目→浅草寺地中上地町屋)、医王町 浅草馬道町七丁目 - 北谷西側(吾妻町→浅草寺地中上地町屋) 浅草馬道町八丁目 - 北谷東側(吾妻町→浅草寺地中上地町屋)、檜久間町 以上の町域は、現在(住居表示実施後)の町名では浅草一・二・三・四・六丁目、花川戸一・二丁目のうちに位置する。 馬道町一〜八丁目(明治44年に「浅草」の冠称を取る)は昭和9年(1934年)の町名改正で廃止され、同年、馬道一〜三丁目が成立した。馬道町一〜八丁目と馬道一〜三丁目は重なる部分もあるが、全く同じ町域ではない。旧町名の馬道町一〜八丁目は、新町名の馬道一・二丁目、雷門二丁目、花川戸一・二丁目の各一部となった。一方、新町名の馬道一〜三丁目は、従前の馬道町三〜八丁目のほか、花川戸町、浅草公園地(五号地)、聖天横町、田町一丁目、千束町三丁目、地方今戸町の各一部をもって成立したものである。浅草寺表参道(仲見世)付近にあたる旧馬道町一・二丁目は雷門二丁目(現・浅草一丁目)となり、この地区からは馬道の町名は消えた。一方、新町名の馬道三丁目は田町一丁目、千束町三丁目、地方今戸町の各一部をもって成立したもので、旧馬道町の地域は含まれていない。これら新旧町名の対応を丁目ごとに整理すると以下のとおりである。 馬道町一〜八丁目(1934年廃止)の編入先 馬道町一丁目 - 雷門2 馬道町二丁目 - 雷門2 馬道町三丁目 - 雷門2、馬道1 馬道町四丁目 - 花川戸1、馬道1 馬道町五丁目 - 馬道1・2 馬道町六丁目 - 花川戸1・2、馬道1 馬道町七丁目 - 馬道2 馬道町八丁目 - 馬道1・2 馬道一〜三丁目(1934年成立)の前身町名 馬道一丁目 - 馬道町三・四・五・六・八丁目、花川戸町、浅草公園地(五号地) 馬道二丁目 - 馬道町五・七・八丁目、聖天横町、田町一丁目 馬道三丁目 - 田町一丁目、千束町三丁目、地方今戸町 馬道一〜三丁目は昭和41年(1966年)の住居表示実施により廃止され、浅草一・二・三・四・五・六丁目、花川戸一・二丁目の各一部となった。
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