ロイヤル・スコッツ・フュージリアーズ(第21連隊)
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「ロイヤル・スコットランド連隊」の記事における「ロイヤル・スコッツ・フュージリアーズ(第21連隊)」の解説
マー伯爵連隊(The Earl of Mar's Regiment)(1678) スコッツ・フュージリアーズ(The Scots Fusileers)(1685) ノースブリティッシュ・フュージリアーズ(North British Fusileers)(1707) ロイヤル・ノースブリティッシュ・フュージリアーズ(Royal North British Fusileers)(1712) 第21歩兵連隊又はロイヤル・ノースブリティッシュ・フュージリアーズ(21st Regiment of Foot or Royal North British Fusiliers)(1751) 第21歩兵連隊又はロイヤル・スコッツ・フュージリアーズ(21st Regiment of Foot or Royal Scots Fusiliers)(1877) ロイヤル・スコッツ・フュージリアーズ(The Royal Scots Fusiliers)(1881) ロイヤル・ハイランド・フュージリアーズへ統合(1959)。 1678年、第21代マー伯爵(Charles Erskine, 21st Earl of Mar)により設立され、マー伯爵連隊と呼ばれたが、1685年に改編されてスコッツ・フュージリアーズとなった。 17世紀の前半のヨーロッパで開発されたフリントロック式銃は、従来のマッチロック式銃のように火の付いた火縄や火種を持ち歩く必要がないため、引火性の物質が近くにあっても安全であり、即時に射撃できる状態で負革で背負うことも出来るようになった。そのため、行軍の際は大量の火薬を積んだ馬車を押し、敵が現われたら即時に応戦する必要がある、砲兵段列の護衛隊は最初に配備された部隊の一つだった。この、軽量のフリントロック式マスケット銃を装備した兵士は、新しい種類の歩兵フュージリア(Fusilier)となり、17世紀後半には部隊が編成されるようになった。 フリントロック式銃を優先配備されていた兵種としては、各歩兵連隊の中隊として編成され、擲弾の投擲を任務とした擲弾兵があり、彼らも同様に手を空けるために銃を背負い、必要があれば背負った銃を迅速に構えるためることが要求されていた。そのため、フュージリア兵と擲弾兵の服装や装備は似たものとなっていた。 擲弾が使われなくなり、全軍がフリントロック式銃を装備するようになると、ヨーロッパ諸国では”擲弾兵”が精鋭部隊の名誉称号となり、フランス等では一般歩兵部隊が”フュージリア”と呼ばれた。一方、イギリスでは歩兵連隊の精鋭中隊を”擲弾兵中隊”とし、1836年以降はヨーロッパ諸国の”擲弾兵連隊”に相当する精鋭部隊の名誉称号として、”フュージリア連隊”の名称を与えるようになった。その様なわけで、フュージリア連隊の制服は各連隊の擲弾兵中隊と共に、各時代に於ける他のヨーロッパ諸国の擲弾兵の服装に準じて変遷して行った。 スコッツ・フュージリアーズは1685年に新編されたロイヤル・フュージリアーズ連隊(Royal Regiment of Fusileers)と共にイギリス軍で最初に編成された2個のフュージリアーズ連隊の一つであり、3個存在した”本物”のフュージリア兵連隊であった。 1712年にはロイヤルの称号を受けた。 第21連隊の連隊旗。
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