近衛歩兵第一連隊
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「グレナディアガーズ」の記事における「近衛歩兵第一連隊」の解説
1660年、王政復古に伴いロード・ウェントワース連隊はチャールズ2世と共にイギリスへ帰還した。そして同年には2番目の王立近衛歩兵連隊として”ジョン・ラッセル近衛歩兵連隊”((John Russell's Foot Guards)が設立されている。1665年にウェントワース卿が死去すると、両連隊は統合されて近衛歩兵第一連隊(First Regiment of Foot Guards)となった。当時の兵力は24個中隊であった。その後、1678年には擲弾兵中隊が設置されている。 近衛歩兵第一連隊はその後英国が行った戦争の殆どに参加しており、海上が主な戦場であった英蘭戦争には、第二及び第三次の戦争に海兵隊として参加している。 イギリスの歩兵連隊で海上戦闘を経験している部隊は珍しくない。イギリスに艦上勤務を専門とする歩兵部隊である海兵隊自体が無かった第一次英蘭戦争には、イングランド共和国に属していたコールドストリームガーズ(当時の名称は”モンクの歩兵連隊”(Monck's Regiment of Foote))が海上戦闘に加わっており、イギリスで初の海兵連隊である”デューク・オブ・ヨーク・アンド・アルバニー海上歩兵連隊”(Duke of York and Albany's Maritime Regiment of Foot)が、1664年にコールドストリームガーズ(当時の名称は”ロードジェネラル近衛歩兵連隊”(The Lord General's Regiment of Foot Guards))から将兵を抽出して編成された後も、歩兵部隊が海上任務に就くことが度々あった。更に時代が下ったナポレオン戦争でも、第2及び69歩兵連隊が艦隊に配属されている。また逆に、第3、第30、第31、第32の4歩兵連隊は何れも海兵隊から一般の歩兵連隊に改編された部隊である。 そして、1680年には王政復古後のイギリス陸軍にとって初めての海外遠征であるタンジールにも派遣された。 第二次英蘭戦争の四日海戦(Four Days Battle) スペイン継承戦争に於いては、初代マールバラ公ジョン・チャーチルの下で戦い、ラミイの戦い、アウデナールデの戦い及びマルプラケの戦いの勝利に貢献した。イギリス軍総司令官であるマールバラ公は、1667年に近衛歩兵第一連隊キングス中隊(King's Company)の少尉として軍歴をスタートさせた人物であり、当時は連隊長も兼ねていた。 ラミイの戦い マルプラケの戦い
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