近衛歩兵第一連隊とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > 近衛歩兵第一連隊の意味・解説 

近衛歩兵第一連隊

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/16 07:51 UTC 版)

グレナディアガーズ」の記事における「近衛歩兵第一連隊」の解説

1660年王政復古に伴いロード・ウェントワース連隊チャールズ2世と共にイギリスへ帰還した。そして同年には2番目の王立近衛歩兵連隊として”ジョン・ラッセル近衛歩兵連隊”((John Russell's Foot Guards)が設立されている。1665年にウェントワース卿が死去すると、両連隊統合されて近衛歩兵第一連隊(First Regiment of Foot Guards)となった当時兵力24個中であったその後1678年には擲弾兵中隊設置されている。 近衛歩兵第一連隊はその後英国が行った戦争の殆どに参加しており、海上主な戦場であった英蘭戦争には、第二及び第三次戦争海兵隊として参加している。 イギリス歩兵連隊海上戦闘経験している部隊珍しくないイギリス艦上勤務専門とする歩兵部隊である海兵隊自体無かった第一次英蘭戦争には、イングランド共和国属していたコールドストリームガーズ当時の名称は”モンク歩兵連隊”(Monck's Regiment of Foote))が海上戦闘加わっており、イギリスで初の海兵連隊である”デューク・オブ・ヨーク・アンド・アルバニー海上歩兵連隊”(Duke of York and Albany's Maritime Regiment of Foot)が、1664年コールドストリームガーズ当時の名称は”ロードジェネラル近衛歩兵連隊”(The Lord General's Regiment of Foot Guards))から将兵抽出して編成された後も、歩兵部隊海上任務に就くことが度々あった。更に時代下ったナポレオン戦争でも、第2及び69歩兵連隊艦隊配属されている。また逆に第3、第30、第31、第32の4歩兵連隊何れも海兵隊から一般歩兵連隊改編された部隊である。 そして、1680年には王政復古後イギリス陸軍にとって初めての海外遠征であるタンジールにも派遣された。 第二次英蘭戦争四日海戦Four Days Battleスペイン継承戦争に於いては初代マールバラ公ジョン・チャーチルの下で戦いラミイの戦いアウデナールデの戦い及びマルプラケの戦い勝利貢献したイギリス軍総司令官であるマールバラ公は、1667年に近衛歩兵第一連隊キングス中隊King's Company)の少尉として軍歴スタートさせた人物であり、当時連隊長兼ねていた。 ラミイの戦い マルプラケの戦い

※この「近衛歩兵第一連隊」の解説は、「グレナディアガーズ」の解説の一部です。
「近衛歩兵第一連隊」を含む「グレナディアガーズ」の記事については、「グレナディアガーズ」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「近衛歩兵第一連隊」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「近衛歩兵第一連隊」の関連用語

近衛歩兵第一連隊のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



近衛歩兵第一連隊のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaのグレナディアガーズ (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS