近衛新体制へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/03 20:10 UTC 版)
しかし4月も終わりに近づくと、聖戦貫徹議員連盟以外の人物でも有馬頼寧のようにナチス・ドイツ流の独裁体制を目指そうとする人物が近衛に対して活発に働きかけるようになった。いわゆる「近衛新党」の計画が再度息を吹き返した。 5月になってナチス・ドイツはフランスへの侵攻を開始した。以前からナチス・ドイツやソビエト社会主義連邦共和国に倣った全体主義国家を主張する政治家や学者、エコノミストは少なくなかったが、この情勢に刺激されて日本国内でも全体主義国家の樹立を唱える者の声は強まった。 政党の側で、ナチス・ドイツの動きに幻惑された代表的な人物が政友会総裁の久原房之助である。4月30日の臨時党大会の席上で久原は、既成政党を解党し、一国一党制の国家を樹立することを主張し、他の政党にも解党を迫った。社会大衆党や国民同盟などの小会派はこぞって久原の主張に賛同した。 議員連盟に参加した議員は衆議院のすべての政党に渡っており、彼らは各政党の内部から解党の策動をはじめた。議員連盟は政治体制整備特別委員会を設置し、5月25日には、既成政党の解消と、新たな強力政党による1党制の確立の方針を打ち出した。結果的に聖戦貫徹議員連盟が近衛新体制への道を切り開き、太平洋戦争前の議会政治の息の根を止める引き金を果たした。 同年6月3日の総会には43名が出席し、各党の解党を求める決議と統一新党の設立を訴え「政治体制整備に関する方策」を発表した。参加議員は250名になった。 6月24日の近衛文麿による新体制確立の声明を受けて緊急の常任幹事会を開き既成政党即時解消要請を決議し、翌日各政党を訪問して解党を求めた。訪問を受けた民政党の町田忠治は、解党の意思はないが新党と争う気もないと答えた。
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