近衛師団上陸とは? わかりやすく解説

近衛師団上陸

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/11 04:58 UTC 版)

乙未戦争」の記事における「近衛師団上陸」の解説

5月29日近衛師団台湾上陸すると、台湾民主国の唐を含む首脳陣逃げ台湾民主国雇われていた広東人傭兵治安乱したこともあり、6月14日には台北住民治安維持のため日本軍に対して辜顕栄使節として迎え入れ台北無血開城された。6月17日樺山資紀台湾総督は、占領した台北台湾総督府始政式を執行した。また帰国求め北部の旧清国軍に対し樺山淡水において帰国事業行った当初樺山占領は容易であると考えていたが、後に上海英国新聞ノース・チャイナ・ヘラルドが「日本犯した大きな過ちは、島に住む客家その他の中国農民気性と力を過小評価したことだ」と指摘したように、中南部において抗戦はますます熾烈となった台南まかされていた劉永福中心にした台湾民主国軍と漢人住民義勇兵は、日本軍対し高山地帯立てこもってゲリラ戦応戦したその際には高山族対抗するための組織であった隘勇制度抗日運動基盤となった6月19日樺山伊藤博文に「台湾名義的には日本領土であるが、残留清兵が攻撃をしてくるため外征変わらない状況なので、台湾勤め文武諸官員は外征従軍扱いしてやってほしい」と、台湾残った清国の兵が下関条約違反して攻撃仕掛けてきている危険な現状報告し台湾勤務者の待遇改善具申した伊藤博文内閣はこれを8月17日付け承認した樺山増派しなくとも近衛師団だけで台南まで陥落できると考えていた。しかし新竹占領した阪井支隊台北との間の連絡が、ゲリラ戦影響20日以上取れなくなりゲリラ戦主力であった平鎮抗日軍をおとせず、それに呼応して台北でも反乱がおきると、北部占領にさえ兵力不足していることが判明し樺山南部攻略先送りにした。 7月大本営増派決定し伊藤内閣7月16日台湾情勢は「百事至難境遇在る」と認識改め、「速に鎮定奏功を望」むので「鎮定までの間は法規等に拘泥せず万事敏捷に相運侯筈に申合せ」た八カ条を内閣閣令として通達した。この間樺山近衛師団用いて7月29日に旧台北管内制圧完了した日本軍土兵土匪(匪賊)と呼んだ義勇兵大軍をみたら白旗揚げ笑顔迎え入れ少数になれば後ろから襲いかかって日本軍攻め立てたために、日本軍対策としてまるごと殺戮するといった強硬手段出た。このことがさらなる反発呼び抗戦運動を長引かせた。また、山岳地帯天然の要塞となり、日本は各防衛拠点人数分散せざるを得なかった上に十分な情報通信ができなかったことが、苦戦直接的な原因とされている。こうした困難は、新聞掲載され兵士の手紙などによって日本国民にも知らされていた。 さらに大本営8月6日台湾総督府条例定め軍政施行した何度も増軍がなされ、最終的には二個師団上の戦力となった台湾中部においては、黎景嵩が中心となって抵抗行っていたが、彰化8月末には陥落し日本軍雲林地方大莆進出した同地地主であった簡義は日本軍抵抗せず受け入れたが、一部軍夫らが婦女子姦淫殺害したために、反旗を翻し黒旗軍部隊とともに日本軍襲ったために、日本軍北斗北岸まで退却した。ノース・チャイナ・ヘラルドによれば抗日軍はこれをもとに「日本軍婦女暴行し家屋の中を荒らし田畑を奪う」と宣伝プロパガンダ)したところ、台湾各地老若男女義勇兵として郷土防衛のために抵抗した。これによって日本軍赤痢マラリア脚気などによる兵員不足に対す休養もかね、南方への前進止め台南侵攻できたのは10月であった劉永福外国の介入による終戦狙っていたが、日本軍によって三方から台南府を攻略かけられると、10月19日台南府から逃亡し厦門向かい台湾民主国軍は最終的に崩壊した1895年11月18日樺山総督台湾平定宣言東京大本営報告し台湾平定戦は終結した。この戦闘で、日本は約76000人の兵力軍人五万軍夫万六千人)を投入死傷者5320名(戦死者164名、病死者4642名、負傷者514名)、さらに軍夫7000人の死者(大谷による推計)を出し台湾民主国軍をはじめとする抵抗勢力義勇兵住民あわせて14000人の死者出したとされる

※この「近衛師団上陸」の解説は、「乙未戦争」の解説の一部です。
「近衛師団上陸」を含む「乙未戦争」の記事については、「乙未戦争」の概要を参照ください。

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