辜顕栄とは? わかりやすく解説

辜顕栄

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/07/03 17:32 UTC 版)

辜 顕栄(こ けんえい、1866年同治5年) - 1937年昭和12年)。中国語辜 顯榮ピン音Gū Xǐan róng)は、日本統治時代の台湾における実業家政治家。字は耀星。台湾彰化県鹿港出身[1]。日本の台湾統治に積極的に与した台湾島人有力者、いわゆる「御用紳士」として評されることが多い。贈従五位


  1. ^ a b c 辜顕栄(こけんえい)とは”. コトバンク. 2020年7月23日閲覧。
  2. ^ 『辜顕栄翁伝』10-11頁
  3. ^ 『辜顕栄伝奇』25-28頁
  4. ^ 『辜顕栄伝奇』39-40頁
  5. ^ 『辜顕栄伝奇』40-41頁
  6. ^ 『辜顕栄伝奇』43-44、57-59頁
  7. ^ 『辜顕栄翁伝』28,117頁
  8. ^ 『辜顕栄伝奇』61-62頁。『辜顕栄翁伝』44-47,592頁
  9. ^ 『辜顕栄翁伝』22頁
  10. ^ 『辜顕栄翁伝』593-594頁
  11. ^ 辜顕栄は製糖業にも進出したが、後に日本内地側の資本に製糖会社を売却することを余儀なくされた。『辜顕栄伝奇』176-177頁
  12. ^ 涂照彦『日本帝国主義下の台湾』東京大学出版会、1975年。398-399.420頁
  13. ^ 『日本帝国主義下の台湾』410-411頁
  14. ^ 『日本帝国主義下の台湾』432頁
  15. ^ 許世楷『日本統治下の台湾 抵抗と弾圧』東京大学出版会、1972年。221-222頁
  16. ^ 辜自身は議会の設置自体には反対していなかったものの、設置請願書には、総督と議会との関係、議会の対象範囲、議員選挙法などが明確にされておらず、それらの不備を理由に反対に回ったとする見方もある。(野口真廣 2007, p. 5-6)
  17. ^ 若林正丈『台湾抗日運動史研究』研文出版、1983年。176頁、何義麟「台湾人の歴史認識 「御用紳士」辜顕栄と「抗日英雄」寥添丁」『アジア遊学』48号、2003年。49頁 但し何義麟自身は「統治の協力者という役割を担うのは、植民地支配の構造的な問題であるとともに特定社会階層の問題であって、辜顕栄個人の問題ではない」と述べている。「台湾人の歴史認識 「御用紳士」辜顕栄と「抗日英雄」寥添丁」49頁より引用。)
  18. ^ 向山寛夫『日本統治下における台湾民族運動史』中央経済研究所、578-579頁
  19. ^ 『辜顕栄翁伝』117頁
  20. ^ 『辜顕栄翁伝』74頁
  21. ^ 『辜顕栄翁伝』118頁
  22. ^ 後藤新平のデスマスク、台湾で発見!
  23. ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、44頁。
  24. ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、45頁。
  25. ^ 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』124頁。
  26. ^ 『官報』号外「叙任及辞令」1915年11月10日。
  27. ^ 河原功. “台湾新聞資料1 昭和天皇 皇太子時代の台湾訪問 関東大震災”. 台湾日日新報 1923(大正12)年. 財団法人交流協会. 2022年6月22日閲覧。


「辜顕栄」の続きの解説一覧




固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「辜顕栄」の関連用語

辜顕栄のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



辜顕栄のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの辜顕栄 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS