辜顕栄
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辜 顕栄(こ けんえい、1866年(同治5年) - 1937年(昭和12年)。中国語:辜 顯榮、ピン音Gū Xǐan róng)は、日本統治時代の台湾における実業家、政治家。字は耀星。台湾彰化県鹿港出身[1]。日本の台湾統治に積極的に与した台湾島人有力者、いわゆる「御用紳士」として評されることが多い。贈従五位。
- ^ a b c “辜顕栄(こけんえい)とは”. コトバンク. 2020年7月23日閲覧。
- ^ 『辜顕栄翁伝』10-11頁
- ^ 『辜顕栄伝奇』25-28頁
- ^ 『辜顕栄伝奇』39-40頁
- ^ 『辜顕栄伝奇』40-41頁
- ^ 『辜顕栄伝奇』43-44、57-59頁
- ^ 『辜顕栄翁伝』28,117頁
- ^ 『辜顕栄伝奇』61-62頁。『辜顕栄翁伝』44-47,592頁
- ^ 『辜顕栄翁伝』22頁
- ^ 『辜顕栄翁伝』593-594頁
- ^ 辜顕栄は製糖業にも進出したが、後に日本内地側の資本に製糖会社を売却することを余儀なくされた。『辜顕栄伝奇』176-177頁
- ^ 涂照彦『日本帝国主義下の台湾』東京大学出版会、1975年。398-399.420頁
- ^ 『日本帝国主義下の台湾』410-411頁
- ^ 『日本帝国主義下の台湾』432頁
- ^ 許世楷『日本統治下の台湾 抵抗と弾圧』東京大学出版会、1972年。221-222頁
- ^ 辜自身は議会の設置自体には反対していなかったものの、設置請願書には、総督と議会との関係、議会の対象範囲、議員選挙法などが明確にされておらず、それらの不備を理由に反対に回ったとする見方もある。(野口真廣 2007, p. 5-6)
- ^ 若林正丈『台湾抗日運動史研究』研文出版、1983年。176頁、何義麟「台湾人の歴史認識 「御用紳士」辜顕栄と「抗日英雄」寥添丁」『アジア遊学』48号、2003年。49頁 但し何義麟自身は「統治の協力者という役割を担うのは、植民地支配の構造的な問題であるとともに特定社会階層の問題であって、辜顕栄個人の問題ではない」と述べている。「台湾人の歴史認識 「御用紳士」辜顕栄と「抗日英雄」寥添丁」49頁より引用。)
- ^ 向山寛夫『日本統治下における台湾民族運動史』中央経済研究所、578-579頁
- ^ 『辜顕栄翁伝』117頁
- ^ 『辜顕栄翁伝』74頁
- ^ 『辜顕栄翁伝』118頁
- ^ 後藤新平のデスマスク、台湾で発見!
- ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、44頁。
- ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、45頁。
- ^ 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』124頁。
- ^ 『官報』号外「叙任及辞令」1915年11月10日。
- ^ 河原功. “台湾新聞資料1 昭和天皇 皇太子時代の台湾訪問 関東大震災”. 台湾日日新報 1923(大正12)年. 財団法人交流協会. 2022年6月22日閲覧。
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