日本軍への協力
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/22 03:16 UTC 版)
1895年、日清戦争の清国敗戦により台湾が日本に割譲されることが伝わると台湾の世論は沸騰し、日本への割譲を防ぐべく「台湾民主国」が設立された。しかし台湾民主国は国家機構も軍事力も未整備であり、6月に基隆に日本軍が上陸すると台湾側はこれを阻止できずに敗退。台北にも敗戦の報が伝わり、更には基隆の敗残兵が台北に流入して狼藉を働くなど、台北は混乱を極めた。この危機に際し、台北の有力商人層は日本軍を頼って秩序を回復することを商議した。日本軍への使者として辜顕栄が名乗りを上げたことが、彼の栄達の始まりとなる。 辜は当初、日本軍からスパイではないかと疑われたものの、結局日本軍を台北まで案内し、無血入城させた。その後7月に日本の近衛師団が台湾を南下する際には辜も同行し、軍の道案内や抗日勢力の誘降を担当し、時には自ら現地の壮丁を「義勇軍」として組織して日本軍を支援した。12月には日本に招待されて、東京にて内閣閣僚から歓待された上、勲六等を叙勲された。一方で日本の領台初期には日本側から抗日勢力との関係を疑われており、逮捕もされている。だが程なくして疑惑は晴れ、釈放された。
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