日本軍上陸への恐怖
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「アメリカ本土攻撃」の記事における「日本軍上陸への恐怖」の解説
この空襲による死者は出なかったものの、上記のように、アメリカ軍を含む連合国軍の度重なる敗退とアラスカへの日本軍の上陸と陸戦(日本軍によるアッツ島の占領)、さらに日本海軍船艇と航空機による度重なるアメリカ本土およびハワイへの攻撃を受けて、1941年の開戦直後から1942年中盤にかけての当時のアメリカ政府上層部においては、日本海軍の空母を含む連合艦隊によるアメリカ本土への空襲と、それに続くアメリカ本土への上陸計画が行われる可能性が非常に高いと分析されていた。 実際に開戦直後にフランクリン・ルーズベルト大統領は、日本陸軍部隊によるアメリカ本土への上陸を危惧し、陸軍上層部に上陸時での阻止を打診したものの、それに対して陸軍上層部は「大規模な日本軍の上陸は避けられない」として、日本軍を上陸後ロッキー山脈で、もしそれに失敗した場合は中西部のシカゴで阻止することを検討していた(なお、実際に開戦後数週間の間、アメリカ西海岸では日本軍の上陸や空襲を伝える誤報が陸軍当局に度々報告されていた)。 なお、この様な日本軍の上陸に対しての警戒は、太平洋戦線における形勢がアメリカ軍をはじめとする連合国軍優勢になった1943年夏以降も続くこととなった。
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日本軍上陸への恐怖
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/30 00:50 UTC 版)
「アメリカ本土空襲」の記事における「日本軍上陸への恐怖」の解説
なお、連合軍の度重なる敗退と、日本海軍による度重なるアメリカ本土への攻撃を受けて、当時のアメリカ政府上層部においては、日本海軍の空母を含む連合艦隊によるアメリカ本土空襲と、それに続くアメリカ本土への上陸計画が開戦直後から1942年の初頭にかけて行われる可能性が非常に高いと分析されていた。 実際に開戦直後にフランクリン・ルーズベルト大統領は、日本陸軍部隊によるアメリカ本土への上陸を危惧し、陸軍上層部に上陸時での阻止を打診したものの、それに対して陸軍上層部は「大規模な日本軍の上陸は避けられない」として、日本軍を上陸後ロッキー山脈で、もしそれに失敗した場合は中西部のシカゴで阻止することを検討していた(なお、実際に開戦後数週間の間、アメリカ西海岸では日本軍の上陸や空襲を伝える誤報が陸軍当局に度々報告されていた)。 さらに、日本軍上陸への恐怖と黄色人種への差別感情を元に、ルーズベルト大統領はアメリカ西海岸一帯に居住する日本人のみならず、アメリカ国民である日系アメリカ人の強制収容所への収容を指示するなど、アメリカ政府と軍、国民による日本軍上陸に対する恐怖はヒステリーとなるほど高まった。 また、サンフランシスコやロングビーチ、サンディエゴ等の西海岸の主要な港湾においては、日本海軍機動部隊の襲来や陸軍部隊の上陸作戦の実行を恐れて、陸海軍の主導で潜水艦の侵入を阻止するネットや機雷の敷設を行った。
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