南米からの日系人強制送還(追放)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/10 13:59 UTC 版)
「強制移住」の記事における「南米からの日系人強制送還(追放)」の解説
南北アメリカ諸国は、1939年から各国に居住する枢軸国側の国民の取り扱いについて協議を開始。最初に、戦略的要衝であるパナマの日系人が、アメリカの支援でパナマの収容所に抑留された。各国で対応し切れない敵性外国人はアメリカ合衆国に送られる事になっており、日系移民排斥ムードが高まっていたペルーを筆頭に、12カ国の日系人が合衆国へ追放された:63。彼らはいわゆる日系人社会のリーダー層であり、日本軍への協力の嫌疑をかけられ、人数は多くは無いが、米国に強制的に移送される際、パスポートの携帯を許されずあるいは途中で没収されたかの理由により、米国政府から不法移民の地位を付与され司法省移民局管轄の抑留所に監禁された。
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