南米ABC三国間における建艦競争
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/03 05:28 UTC 版)
「建艦競争」の記事における「南米ABC三国間における建艦競争」の解説
詳細は「南アメリカの建艦競争」を参照 A(アルゼンチン)・B(ブラジル)・C(チリ)の南米主要三国は潜在的な対立関係にあり、パワーバランスの維持に長年腐心してきた。その最中に起きた建艦競争は、規模は小さいながらも典型的なケースとして世に知られる。 先陣を切ったのはブラジルで、1904年度に戦艦3隻を含む海軍拡張計画を成立させた。とはいえ、中小国の国力では急速な実現は困難で、計画案は逐次修正されていく。その過程で「ドレッドノート」就役の情報がもたらされた。 同艦により、既存の主力艦が過去のものとなったことを認識したブラジルは、早期に弩級艦を戦列に加えることで、地域的な優位確立と列強への対抗が可能であると判断し、弩級戦艦建造の方針に変更した。この結果実現したのがミナス・ジェライス級戦艦2隻である。 同艦の就役は、南米地域のパワーバランスを大きく崩すことになる。長年のライバル国であったアルゼンチンは直ちにこれに反応し、自らも弩級戦艦保有を決定した。建造されたのは「ミナス・ジェライス」を大きく上回る戦力を持つ「リバダビア」級2隻である。同艦により優位を崩されたブラジルは、対抗として三隻目の弩級戦艦建造を決定し、「リオ・デ・ジャネイロ」を発注した。超弩級戦艦の時代に建造された同艦は14門もの12インチ砲を搭載するが、結局は超弩級艦の方が有利であると判断され売却されることとなる。手を挙げたのはオスマン帝国であった。 両国の建艦に対して、最後に動いたのがチリである。同国は弩級艦に見切りをつけ、超弩級艦の建造を選択した。アルミランテ・ラトーレ級と名付けられた2隻の戦艦は、そのまま就役すれば南米における最強艦として君臨することになるため、劣勢を認識したAB両国は三隻目の戦艦取得をそれぞれ決定した。 次第に過熱しつつあった三国間の建艦競争であったが、第一次世界大戦の勃発により情勢が激変する。三国はいずれも自国で戦艦を建造する能力は持っておらず、外注に頼っていた。建造を請け負う列強全てが戦争に突入したことで、これ以上戦艦を獲得することができなくなったのである。そればかりかブラジルは「リオデジャネイロ」を、チリに至ってはラトーレ級を二隻ともイギリスに接収されてしまう。こうして三国の建艦競争は、外的要因により強制終了されることとなった。 終戦後、「リオデジャネイロ」はそのままイギリス海軍の手に残り、「ラトーレ」はチリ海軍に返された。二番艦「コクレン」は大戦中空母「イーグル」に改装されたこともあってイギリス海軍のものとなったため、最終的に三国の保有戦艦は弩級戦艦2隻ずつと超弩級戦艦1隻でパワーバランスが均等化した。情勢が安定したことと、ワシントン海軍軍縮条約の影響で新たな戦艦取得が困難になったことで建艦競争は鎮静化し、三国の戦艦5隻は相争うことなくそれぞれ天寿を全うした。
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