南米と欧州の旅
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/12/08 22:04 UTC 版)
「アルベルト・グラナード」の記事における「南米と欧州の旅」の解説
詳細は「en:The Motorcycle Diaries (book)」および「en:The Motorcycle Diaries (film)」を参照 1951年12月29日から1952年7月まで、グラナードは愛用していたノートン製の 500cc のオートバイ「ポデローサ2世 (Poderosa II)」に乗り、ゲバラと一緒に南米周遊の旅に出た。このとき2人はどちらも日記をつけていた。ふたりはペルーのロレート県イキトス近郊にあるサン・パブロのハンセン病療養所に滞在した。彼らは、無権利状態に置かれた先住民たちの貧困と、安価で基本的な医療さえ利用できない状況を目の当たりにした。この経験はふたりに、それぞれの将来の仕事を認識させた—ゲバラは革命的政治活動、グラナードは実用的な科学を目指すことになった。 グラナードの旅は、ベネズエラのカラカスで終わった。彼はこの地に留まり、マイケティーア(Maiquetía)のカーボ・ブランコ(Cabo Blanco)にあるハンセン病療養所で働くことになった。ゲバラは旅を続け、マイアミまで行き、それからブエノスアイレスに戻って、医学部の卒業を目指した。 1955年、グラナードは、ローマにある高等衛生研究院(Istituto Superiore di Sanità)の奨学金を得て欧州に渡った。欧州滞在中は、フランス、スペイン、スイスを訪問した。帰国したグラナードは、デリア・マリア・ドゥク・ ドゥクと結婚した。
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