南米への広がりとマリネラという名称
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「マリネラ (舞踊)」の記事における「南米への広がりとマリネラという名称」の解説
その後、サマクエカはリマ庶民の間にとどまらず、ペルー全域、果てはアルゼンチンやボリビア、チリまで広まり、南米各地で大流行した。アルゼンチンでは「サンバ」(zamba)、そしてチリにおいては「クエカ(クエッカ)」と呼ばれるようになり、特にチリでは大流行し独自に発展を遂げた。後にこの「クエカ(クエッカ)」はチリ風のクエカを意味する「クエカ(クエッカ)・チレーナ」もしくは単に「チレーナ」と呼ばれるようになった。この「チレーナ」がペルーに再度伝わりペルーで大流行することになるのである。しかし、19世紀後半にペルー・ボリビア連合とチリは太平洋沿岸の資源地帯(おもに硝石)を巡って対立し、太平洋戦争(1879年-1884年)が勃発してしまう。 チリによる宣戦布告前、すでにペルーの同盟国であったボリビアの港であるアントファガスタを軍事占領していた敵国であるチリの名前がついた「チレーナ」という名は、ペルー発祥の伝統舞踊の名に好ましくないという理由で、エル・トゥナンテ(El Tunante)というペンネームで知られるジャーナリストで作家のアベラルド・ガマラ(Abelardo Gamarra)が、1879年3月8日ペルーのエル・ナシオナル紙(El Nacional)コラム「クロニカ・ロカル(Crónica local)」において、チレーナと呼ばれていた踊りをマリネラ(スペイン語で水兵の意)とすべきだと訴える記事を執筆した。 「もはやチレーナではない」 —ペルーの音楽家や作詞家たちは、チレーナという名前で知られているこの舞踊に終止符を打つことを試みました。彼らは、わが国発祥の舞踊が外国の名前を持つのではなく、自国のものであることを望んでいるのです。 彼らは、かつてチレーナと呼ばれていたこの舞踊に洗礼を施すことを― つまり新しい名を与えることにしました。その名とはマリネラ(水兵)です。 名前には、このような理由があります。 第一に、この名の誕生の時期は、チリ海軍によるアントファガスタ占領を記念するものになるでしょう。 そして、この名は戦闘に進軍するペルー海軍の喜びとなるでしょう。 また、その舞踊の優雅な揺れは、荒波の上に揺れる船を思い起こすことでしょう。 そしてもし、この名が実現したならば、この舞踊は曲のフーガ(最高潮)には、まるで2つの艦隊による海戦のごとく凄まじく、また迫力に満ち、人々を魅了することでしょう。 これらすべて海軍にまつわる理由から、この新しい舞踊をチレーナではなくマリネラ(水兵)と呼ぶのです。 名前さえ変わればよいという事ではありません。それよりも、今や我がペルーの作曲家や作詞家たちはこの新しい音楽が、新しい舞踊が、ペルーの街中に飛び回り溢れんとするために大忙しなのです。それは、かつてチレーナと呼ばれたものがそうであったように、そして、そのかつての名を永遠の眠りにつかせんとするために[...]。 この記事がきっかけとなり、チレーナという名称を辞めようという機運が高まった。そして、チリとの戦争中の1879年10月8日には、アンガモスの海戦にてペルーの英雄ミゲル・グラウ提督が戦死してしまう。 こうしたことから戦後、この舞踊はグラウ提督や勇敢に戦った水兵たちを称え、ペルーの誇りをもって「マリネラ」と呼ばれるようになったのである。
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