日露戦争における日本軍への協力
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/17 15:21 UTC 版)
「一進会」の記事における「日露戦争における日本軍への協力」の解説
一進会の設立当初、日本側の一進会への評価は低かったが、一進会の設立後、宋秉畯は当時の日本の大佐、松石安治に対し書簡を送り、現状の高宗およびその官僚主導では大韓帝国の独立・維持は困難であると説明し、また京義線敷設の協力をも申し出ている。当時の日露戦争においては、日本軍が物資輸送のため京義線の敷設を計画するが、日本軍の人員不足で計画が暗礁に乗り上げており、この際、一進会がこの敷設工事に無償支援し、会員14万人以上を動員した。さらに一進会は、日本軍の軍事物資輸送の支援にも乗り出し、10万人以上の会員が自費で日本軍の武器、食料を戦地まで運んでいる。また、この日露戦争当時、一進会会員は、当時の伝統であった長髪、髷をやめ、自主独立運動の象徴としている。朝鮮では露館播遷で断髪令を廃止しており、このような断髪は一般市民からは考えられないものであった。
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