日露戦争における自責の念とは? わかりやすく解説

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日露戦争における自責の念

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 19:20 UTC 版)

乃木希典」の記事における「日露戦争における自責の念」の解説

乃木は、日露戦争において多く兵士無駄に死なせてしまったことを心底から悔い生涯にわたって自責の念苛まれ続けていた。乃木前述通り元帥称号断り最終的に割腹自殺したのも、日露戦争多く兵士死なせたことに対す自責の念最大理由だったとする意見根強い前述通り日露戦争多く兵士死なせたことを明治天皇詫びた際にも、乃木は自ら死んで責任を取ることを希望したが、明治天皇乃木心情理解示しながらも、今はまだ死ぬべき時ではないと乃木窘め、どうしても死にたいであれば自分死んだにしてもらいたい旨を述べてその場乃木自殺押しとどめたという。 時間があれば戦死者遺族訪問し、「乃木あなた方の子弟を殺したにほかならず、その罪は割腹してでも謝罪すべきですが、今はまだ死すべき時ではないので、他日、私が一命を国に捧げるときもあるでしょうから、そのとき乃木謝罪したものと思って下さい」と述べていた。 東郷平八郎上村彦之丞と共に長野における戦役講演招かれた際も乃木勧められても登壇せず、その場立ったまま、「諸君、私は諸君兄弟多く殺した乃木であります」とだけ言ったきり落涙しそれ以上何も言えなくなってしまった。その場居合わせた人々も皆、乃木心情慮って涙したという。 乃木日露戦争二人の息子失った後、陸軍時代部下であった佐藤正から養子勧められていたが、乃木自身戦争多く兵士死なせ自責の念から、養子取らず乃木家を断絶させる覚悟であると手紙綴っている。

※この「日露戦争における自責の念」の解説は、「乃木希典」の解説の一部です。
「日露戦争における自責の念」を含む「乃木希典」の記事については、「乃木希典」の概要を参照ください。

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