日露戦争の幕引きと満鉄設立
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 14:24 UTC 版)
「杉山茂丸」の記事における「日露戦争の幕引きと満鉄設立」の解説
明治38年(1905年)、奉天会戦のあと児玉源太郎が密かに帰国して、政府首脳に講和の必要性を説いたのは、杉山が児玉に秘密電報を打電して講和を進めるべき時期であると進言したことによるという。この年の夏、山縣有朋は講和の聖旨を伝達するため、密かに渡満して大山巌以下の満洲軍首脳と会談したが、その際、杉山は一民間人でありながら山縣に随行して満洲へ渡った。杉山は奉天で児玉源太郎の宿舎に同宿し、そこで児玉から満洲の地誌などの資料を託され、戦後の満洲経営策を立案するよう依頼された。杉山は帰国後、半官半民の合同会社の鉄道会社創設を立案した。この案が児玉によって採用され、南満洲鉄道株式会社(満鉄)が設立された。
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