日露戦争と経営拡大
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/14 14:26 UTC 版)
1904年(明治37年)2月に日露戦争が勃発すると、すぐさま貨物船4隻をイギリス及びノルウェーから購入して、大洋丸とともに御用船として軍に提供した。戦争を通じて海運業界も軍需景気に沸き立っており、この好機を生かして岡崎財閥の地盤が固まった。 戦後は、船腹過剰により海運市況が反落したが、むしろ不況の時こそ好機と捉え、1907年(明治40年)に政府の補助金が打ち切られて日本郵船が手を引いた、神戸 - 北海道間西廻航路の一切を引き受け、同航路運営のために、岡崎汽船を含む関西の海運会社三社による合弁会社を立ち上げた。だが、一年ほどで他の二社が相次いで離脱、その後は岡崎汽船単独での運航を、1917年(大正6年)までおよそ10年間にわたり維持している。
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