日露戦争と海軍料亭小松の全盛
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「小松 (料亭)」の記事における「日露戦争と海軍料亭小松の全盛」の解説
日露戦争開戦前後になると、日清戦争時よりも軍艦の数が増えていたこともあって、小松では連日のように出陣前の宴会が繰り広げられた。そして日露戦争中の1905年(明治38年)、小松は開業20周年を迎え、20周年を記念して百畳敷の大広間の建設を始めた。同年連合艦隊は日本海海戦に勝利し、日露戦争に勝利すると、日清戦争終了後と同じく、次々と横須賀に凱旋入港する艦船の乗組員による祝勝会が連日のように開かれ、小松は大繁盛した。1906年(明治39年)には百畳敷の大広間が完成し、小松は文字通り全盛期を迎えた。 この頃になると、日本海軍の根拠地として発展した横須賀には、多くの旅館、料亭、遊郭などが立ち並ぶようになった。横須賀で小松と並んで海軍士官たちに利用され、海軍料亭として知られた魚勝もこの頃には開業していた。海軍軍人たちは小松のパインに対し、魚勝にはやはりその名にちなみフィッシュと呼んでいた。日露戦争後も日本海軍の軍備拡張は続き、明治時代末まで小松は繁栄を続けた。
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