聖戦貫徹議員連盟とは? わかりやすく解説

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聖戦貫徹議員連盟

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/05 01:51 UTC 版)

聖戦貫徹議員連盟(せいせんかんてつぎいんれんめい)は、1940年(昭和15年)2月に斎藤隆夫衆議院でおこなった反軍演説をきっかけとして、軍部を支持する議員が同年3月25日に結成した日本超党派議員連盟[1]。同年8月6日の常任幹事会で政党解消の側面的役割を果たしたとして解散を決定、新たな組織である新体制促進同志会に合流することを決定した[2]


  1. ^ なお、同日には政友会正統派のうち肥田琢司ら5名が斎藤除名に反対したことで処分を受けたことに抗議して脱党し、新たに政友会中立派を結成している[5]
  2. ^ 肥田琢司については林茂の著書には記載なし。
  3. ^ 例えば、政治家では麻生久ら、学者では蝋山政道ら、エコノミストでは高橋亀吉ら、ジャーナリストでは笠信太郎など。
  4. ^ 内容は、聖戦貫徹のために強力な統一新党が必要なこと、その新党は自由主義、階級主義を廃し国体の本義に沿った物にすること、そのために各党は解党すること等
  5. ^ 当時の民政党総裁

出典

  1. ^ a b c 林茂 2006, p. 171.
  2. ^ 新体制促進同志会に合流(『中外商業』昭和15年8月6日)『昭和ニュース辞典第7巻 昭和14年-昭和16年』p311 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年
  3. ^ 古川隆久 著「近衛新体制 大政翼賛会とは何だったのか」、筒井清忠 編『解明・昭和史 東京裁判までの道』朝日新聞出版、2010年、197頁。ISBN 978-4-02-259966-7 
  4. ^ a b c 粟屋憲太郎『日本の政党』岩波書店〈岩波現代文庫〉、2007年、378頁。ISBN 9784006001889 
  5. ^ 古川隆久『戦時議会』吉川弘文館、2001年、89-90頁。ISBN 4-642-06658-6 
  6. ^ 古川『戦時議会』p.95.
  7. ^ 古川『戦時議会』p.100.
  8. ^ a b c d 粟屋『日本の政党』p.379.
  9. ^ “政界各層、俄然動き 新党樹立の機運濃化 : 成否の鍵は近衛公出馬”. 大阪毎日新聞. (1940年6月4日). https://hdl.handle.net/20.500.14094/0100313320 2013年12月14日閲覧。 
  10. ^ “既存の政党運動誘導 : 速に全面的運動へ : 近く側近から近衛公へ進言”. 大阪毎日新聞. (1940年6月25日). https://hdl.handle.net/20.500.14094/0100315392 2013年12月15日閲覧。 
  11. ^ “解党勧告に民政明答せず : 聖貫連盟委員町田総裁訪問”. 大阪朝日新聞. (1940年6月26日). https://hdl.handle.net/20.500.14094/0100315743 2013年12月15日閲覧。 
  12. ^ “社大感慨の解党 : きょう解党大会開く”. 大阪朝日新聞. (1940年7月8日). https://hdl.handle.net/20.500.14094/0100313674 2013年12月15日閲覧。 
  13. ^ 林茂 2006, p. 173.
  14. ^ “自由主義を一擲 : 久原総裁が解党の辞”. 大阪朝日新聞. (1940年7月17日). https://hdl.handle.net/20.500.14094/0100314081 2013年12月15日閲覧。 
  15. ^ “同憂の士とともに日本再建に邁進 : 民政四十名遂に脱党す”. 大阪朝日新聞. (1940年7月26日). https://hdl.handle.net/20.500.14094/0100315595 2013年12月15日閲覧。 
  16. ^ “国民同盟解党”. 大阪毎日新聞. (1940年7月27日). https://hdl.handle.net/20.500.14094/0100315508 2013年12月15日閲覧。 
  17. ^ “政革派解党大会”. 読売新聞. (1940年7月31日). https://hdl.handle.net/20.500.14094/0100313634 2013年12月15日閲覧。 
  18. ^ “幕を閉じる民政党(上・下)”. 読売新聞. (1940年8月15日). https://hdl.handle.net/20.500.14094/0100315034 2013年12月15日閲覧。 
  19. ^ 林茂 2006, pp. 172–175.
  20. ^ “政党"最期の城"陥つ : 新体制の嵐支え切れず : 民政党解党までの経緯”. 中外商業新報. (1940年8月15日). https://hdl.handle.net/20.500.14094/0100315044 2013年12月15日閲覧。 


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