既存政党への影響
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/03 20:10 UTC 版)
「聖戦貫徹議員連盟」の記事における「既存政党への影響」の解説
7月6日に社会大衆党は他の政党に先駆けて解党した。 16日に政友会久原派が解党、久原は自由主義を放棄し国体の本義に則った新体制確立を望むと述べた。 25日に民政党の永井柳太郎グループ40名が離党、国家の危機を乗り越えられる新政治体制を作るために大同団結すべきとの脱党宣言をした。 26日に国民同盟は、挙国一致体制によって肇国の理想を達成すべきとの宣言を出して解党した。 30日に政友会中島派(革新派)は解党大会を開き、解党宣言で八紘一宇の皇謨と東亜新秩序建設を訴えた。中島は、ヨーロッパでのドイツ、イタリアの圧勝は世界の進化発展の現象であり、この機会に「天祖一元より発し、純血単一にして、世界に冠絶する優秀生命体である日本民族」が発展することは、世界の進化発展を現す肇国の皇謨である。東亜と南方に新秩序を確立することは東方の盟主たる日本民族の義務であり世界新秩序の建設に協力するべきで、そのために強力な新政治体制を作らなければならないとの演説をした。 8月15日には民政党主流派も解党し憲政史上初めて無党状態となった。 各政党の解党理由は新政治体制の確立のため、東亜新秩序建設のため、民族の興亡のためと様々あるが、隈板内閣から大正時代末期にかけて重要な役割を果たしてきた政党は、五・一五事件によりすでに政治の中枢から排除され解党したのと同じ状況であって、政党政治は時代の激流に押し流されてしまった。孤立して排除されることを恐れた政治家たちは、政党政治を否定した後の具体的な展望を示さず、統一新党で軍との関係を強化して政治力を持とうとした。
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