ヨーロッパの列強
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/16 05:36 UTC 版)
「ベルギー独立革命」の記事における「ヨーロッパの列強」の解説
ウィーン体制発足時には協調していたかに見えたヨーロッパ列強は、独立運動の高まるベルギーに対して一致した対応ができなかった。1830年11月に開催されたロンドン会議において、ベルギーの独立を否定したのはロシア・プロイセンの2国にとどまり、七月王政下のフランス、ホイッグ党政権のイギリスのみならず、メッテルニヒ政権のオーストリアまでが、ベルギーの主張を支持した(ただし、フランスはベルギーの一部を領土に組み込もうとも意図していたし、イギリスはそれを牽制しつつ自国の市場拡大をもくろみ、オーストリアはイタリア情勢に奔走していてベルギー問題に関われなかったというように、各国ごとの目論見は異なっていた)。12月20日にイギリス外相パーマストンの主導で議定書が成立し、ベルギーの独立が承認された。これに対してオランダは軍事行動を起こし、ベルギー独立を認めなかったが、ヨーロッパ列強でオランダ政府を支援するために軍を派遣した国はなかった。逆にフランスはベルギーを軍事的に支援し、オランダは休戦を余儀なくされた。
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