ヨーロッパの史書
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/18 02:51 UTC 版)
デニス・サイナーによれば、フン族の起源を探るうえで最古の記録はローマの歴史家アンミアヌス・マルケリヌスの記録である。アンミアヌスによれば、フン族は「凍った海」に隣接するアゾフ海の向こう側に住んでいて、そこからヨーロッパに移動してきたのだという。なお「凍った海」という言葉については、これを文字通りには受け取れないとしている。またサイナーやメンヒェン=ヘルフェンは、アンミアヌスが370年にフン族が現れるまで彼らについてほとんど何も知られていなかったとしているのに触れた上で、この記述を2世紀半ばに地理学者のプトレマイオスが記したクーノイ(Khounoi)という民族に結び付けている。さらにメンヒェン=ヘルフェンは、マジャル人について「我々は今日までに、マジャル人がフン族のように中央ヨーロッパを席巻し始めるまでの300年の間、ドニエプル川、ブク川、ドニエストル川、プルト川、シレト川の流域に住んでいたのに、事実上ビザンツ帝国に気付かれていなかったという事実に気付いている」と述べ、370年以前にフン族が知られていなかったのは彼らが遠方から到来したためという説の証左にはならないと主張している。 アンミアヌスによれば、フン族の最初の征服で滅ぼされたエルマナリクの跡を継いだ東ゴート王ウィティミルが「別のフン」を傭兵として雇っていた。これについてメンヒェン=ヘルフェンは、フン族が一掃した集団の中にテュルク語で解釈できる民族名をもつものがあると指摘し、フン族が到来する前に別のテュルクがこの地域に到来していて、これが「別のフン」と呼ばれた可能性があるとしている。
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