ポズナンとは? わかりやすく解説

ポズナン【Poznań】

読み方:ぽずなん

ポズナニ


ポズナン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/12/28 06:03 UTC 版)

ポズナン
Capital City of Poznań
ポーランド語: Stołeczne Miasto Poznań


紋章

ロゴ
ポズナン
ポズナン
ポズナン
座標:北緯52度24分30秒 東経16度56分01秒 / 北緯52.40833度 東経16.93361度 / 52.40833; 16.93361座標: 北緯52度24分30秒 東経16度56分01秒 / 北緯52.40833度 東経16.93361度 / 52.40833; 16.93361
ポーランド
ヴィエルコポルスカ県
建設 10世紀
都市権取得 1253年
政府
 • 市長 ヤツェク・ヤシコヴィアク (KO)
面積
 • 都市 261.85 km2
 • 都市圏
2,162 km2
最高標高
154 m
最低標高
60 m
人口
(2021年)(5th)[1]
 • 都市 529,410人
 • 密度 2,040人/km2
 • 都市部
1,100,000人
 • 都市圏
1,400,000人
等時帯 UTC+1 (CET)
 • 夏時間 UTC+2 (CEST)
郵便番号
60-001 to 61–890
市外局番 +48 61
ナンバープレート PO, PY
ウェブサイト www.poznan.pl

ポズナンまたはポズナニPoznań (ポーランド語: [ˈpɔznaj̃] [ˈpɔznaɲ] ( 音声ファイル)))は、ポーランド西部に位置する、ポーランド最古の都市の一つで、中世ポーランド王国の最初の首都である。ラテン語名はポスナニア(Posnania)、ドイツ語名はポーゼン(Posen)、イディッシュ語名は פויזן (Poyzn)。ヴィエルコポルスカ県の県都である。人口は約53万人で、これはポーランド5番目の規模である。ポーランド分割後、プロイセン王国に管理され、1871年にはドイツ統一となりドイツ帝国となった。

名称

ポーランド語の「知る(znać)」(この単語は古い時代から変わっていない)の分詞「poznan(y)」からで、意味は「知られている(人、場所、もの)」。したがって、「ポズナニ」の意味は「有名な人の(持つ)街」ないし「有名な街」。

地勢・産業

ヴァルタ川に臨む河港市で、歴史的重要な中心地でもある。古くから商業都市として栄えてきており、文化、学術、商工業の中心地としても知られる。毎年6月上旬に行われる国際見本市の開催地でもある。約150キロ南にヴロツワフ、200キロ東にウッチ、250キロ西にドイツのベルリンが位置している。

歴史

ポズナン旧市街

この地には石器時代から人が住んでいたが、8世紀から9世紀に形成されたスラヴ人城塞集落が都市としてのポズナンの起源とされる。10世紀に入るとここを拠点とするポラン族(レフ族、現ポーランド人)の勢力が周辺に拡大しポズナンはその中心都市となった。966年、郊外のグニェズノにポーランドで最初のカトリック司教座がおかれ、ポズナンはポーランド王国(966年当時はポーランド公国で、ポーランドが王国になったのは1025年)の最初の首都となった。異教時代のポズナンの神殿は取り壊されてポズナン大聖堂が建てられた。モンゴルのポーランド侵攻後、東方植民十字軍運動によりドイツ人などが多く招かれて入植、都市開発も手がけた。

ポズナンは昔からの交通の要所であり、ドイツ騎士団ハンザ同盟加盟都市として繁栄した。17世紀の三十年戦争、18世紀の北方戦争に巻き込まれ、一時街は荒廃した。18世紀後半、第2次ポーランド分割によってプロイセン王国に併合された。19世紀初頭、ナポレオン・ボナパルトによってワルシャワ公国が建てられるとその領土に含まれるが、ウィーン体制下でポズナン大公国として再びプロイセンの支配下におかれた。第一次世界大戦後、ポーランドの独立にともなってポーランド領となった。第二次世界大戦ではドイツ軍ソ連軍の激しい戦闘によりポズナン市街地全体の55%が破壊された。特に旧市街中心部はその90%以上が破壊されたが、戦後、残された資料を元にポーランド人の手によって完全に復元された。スターリン批判直後の1956年6月には反ソ連暴動が発生した。東欧革命によりポーランドが民主化した直後の1990年には市議会の完全自由選挙が行われた。1999年には地方自治体の再編が行われ、ポズナンはヴィエルコポルスカ県(大ポーランド県)の県都およびポズナン郡の郡都となった。交通の要所にある商業都市で、博覧会が頻繁に催され、鉄道高速道路といった道路交通網のアップグレードが急ピッチで進んでいる。2012年にはサッカーの欧州選手権大会(ユーロ2012)の会場の一つとなる。夏至の夜に数千のランタン(天灯スカイランタン)を天空に飛ばす宗教的な祭り「聖ヨハネ祭」で有名[2]

交通

教育

市内にある高等教育機関

  • ポズナン大学(アダム・ミツキェヴィチ大学
  • ポズナン・カロル・マルチンコフスキ医科大学
  • ポズナン経済大学
  • ポズナン美術学校
  • ポズナン・イグナツィ・ヤン・パデレフスキ音楽学校
  • ポズナン工科大学

ギャラリー

著名な出身者

ゆかりのある人物

旧ポーゼン管区の出身者

姉妹都市

脚注

  1. ^ Local Data Bank”. Statistics Poland. 10 July 2022閲覧。 Data for territorial unit 3064000.
  2. ^ 時事ドットコムの記事より

外部リンク、関連項目

インターネット・ディレクトリー

ガイド

経済

科学と教育活動

地理

文化・歴史

スポーツ

写真


ポズナン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/08/11 08:33 UTC 版)

タトラRT6N1」の記事における「ポズナン」の解説

ポーランド都市・ポズナンで公共交通機関運営するポズナン市交通局ポーランド語版)は、ポズナン市電ポーランド語版)の路線延伸バリアフリー向上を目的とした入札実施し1996年にポズナンの機械メーカーであるH.ツェギェルスキ・ポズナン(ポーランド語版)(HCP)とČKDコンソーシアム契約獲得した10両のRT6N1発注されたものの、生産の遅れによりČKDから完成状態で納入されたのは最初の5両(1997年製)のみで、残り車両1998年製)はHCPによる最終組み立てが行われた。 営業運転開始1997年からであったが、チェコ向けの車両同様に故障頻発した事から、HCP工場内での電気機器制動装置見直しなど大規模な修繕1999年まで行われた他、走行路線についてもプラットホームの幅を狭くする対応工事実施された。その結果信頼性大きく向上しチェコ同型車両営業運転離脱した2020年現在全車とも現役使用されている。また、2014年以降後述する「RT6 MF06 AC」への近代化工事実施されている。 車内(ポズナン) 運転台(ポズナン) 全面広告塗装

※この「ポズナン」の解説は、「タトラRT6N1」の解説の一部です。
「ポズナン」を含む「タトラRT6N1」の記事については、「タトラRT6N1」の概要を参照ください。

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