第一次大戦後から第二次大戦終結まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/11/11 08:54 UTC 版)
「ミトローパ」の記事における「第一次大戦後から第二次大戦終結まで」の解説
連合国の勝利に終わった大戦後、ワゴン・リ社は営業を再開し、同盟国の構築した国際列車網は解体される。ミトローパは存続できたものの、営業域をドイツ及びオーストリア国内に制限された。ただし上記二カ国とスイス、オランダを結ぶ国際列車内での営業権はミトローパの手に残された。もともとワゴン・リ社を範として発足したミトローパではあるが、こうした事情から経営の多角化を余儀なくされ、対象をほぼ鉄道利用者に限定し、もっぱらサービスの高級化を指向したワゴン・リとは対照的に、あらゆる交通事業における、利用者全てに対するサービス提供を事業とするビジネスモデルを構築する。 具体例としては1928年にスイスのベルニナ鉄道、レーティッシュ鉄道線内での食堂車の営業権を得たのを初めとして、その後ドナウ汽船公社や北海航路の国際フェリーでのサービスを開始し、またルフトハンザ航空からも機内食サービスの委託を受けている。1928年にはシエスタ・キッセン社(当時三等車旅客に睡眠用の枕を賃貸していた会社)を吸収し、それ以降睡眠用の枕はミトローパ・キッセンの名で賃貸されるようになる。 もっとも、ワゴン・リほどではないが、ミトローパもサービスの高級化をまったく意識してなかったわけではなく、1927-1928年頃から保有車両をワインレッドに塗り、同社のエンブレムを取り付けて、利用者に対して他の客車との差別化を意識付けるようなことはしている。
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