第一次大戦後の国民会議
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「インド国民会議」の記事における「第一次大戦後の国民会議」の解説
第一次世界大戦後にマハトマ・ガンディー、ジャワハルラール・ネルー、チャンドラ・ボースらが加わり、インド独立に大きな役割を果たした。1915年に南アフリカ連邦から帰国してから地方の闘争で成果をあげていたガンディーは、独自の指導でネルーらの左派とパテルらの右派に分裂していた国民会議を統一した。1919年のアムリットサル事件ののち、1920年にはガンディーの「非暴力」(「無抵抗」ではなく「市民的不服従」の意味)を綱領として採択し、地方組織を強化して本格的な政党となった。国民会議が展開した非暴力の運動の中ではとりわけ、1930年にガンディーの指導で展開された塩の行進が有名である。
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